ミッシング・リム

「大輔。やっぱり西條、どこにもいねぇって」
「そか。あんがとな」
 三住大輔は、情報を集めて来てくれた友人たちに、いつものように白い歯を見せて笑いかけた。
 友人たちは憐れみの視線を向けてくる。西條拓巳にではなく、『あんな奴』を必死に捜している大輔に。気付いていて、素知らぬ顔でふいと前を見る。避難所は老若男女で溢れ返っていた。みな怨嗟のような呻きを上げていた。
 後に『渋谷地震』と称された大災害の直後。辛くも難を逃れた人々は、無事だった大きな建物に集い始めた。自然とそうなった箇所もあれば、誘導で埋まっていった場所もある。大輔がいるのもその一つだった。
 翠明生も多くいた。同じ学年の友人も。ただその中には、西條拓巳や咲畑梨深、折原梢、岸本あやせ、さらには西條と一時期親しげにしていた眼鏡の女生徒の姿もない。
 大輔は改めて周囲を見回す。容量いっぱいに詰め込まれた人間たちが、救いの開演を待つように落ち着きなく身体をゆすり合っている。
 まるでライブハウスだなぁと、不謹慎なことを思った。歌姫FESはいくら焦がれても現れないのに。熱狂も奇跡もない。ここには何も降臨しない。ただの箱だ。
 浅く嘆息して、あの酔い痴れるような演奏にも、眉をひそめるばかりだった陰気な友人のことをまた考える。
 西條拓巳。大輔のクラスメイト。地味で根暗なオタク。内気なだけで話すと実はすごくいい奴――なんて都合のいいことはない。喋る言葉も後ろ向き。
 だが気が小さいのは本当だった。悪い奴でないのも本当だった。どもりがちな早口からは、大した情報も得られなかったけれど。
 うざいとぼやきながら妹のことは大事にしていて、かわいいの? と大輔が訊いたときなど、真っ青になってナンパを止めてきた。『三住くんの黒歴史になるから!』とわけのわからないことを言っていたが、大輔には『妹を毒牙にかけるな』と聞こえたので、御簾越しのお姿すら拝見せずにおいたのだ。
「……教えてもらっときゃよかったかな」
 片耳のピアスを意味もなくいじる。
 妹の名前や顔さえ知っていれば、口説かないまでも兄の安否を尋ねるくらいは出来ただろうに。
 恨みの声は止まない。大輔は少しでも遠ざかれる場所を探す。
 西條拓巳は、自らを『エスパー少年』と名乗り各メディアに売り込んだという。
 大輔には、どうしてもそれが真実とは思えなかった。だってあのタクだぞ? と。
 信頼とも違う。大輔は、彼が『日々を平穏に終えたい』としか願っていなかったのを知っていたから。ただの推測だ。他の人間より西條拓巳に関する情報量が少しばかり多かった、それだけ。
 『ニュージェネレーションの狂気の犯人』とまで呼ばれた少年だった。それも冷静になってみれば、ちゃんちゃらおかしい。お決まりのフナの解剖でさえ、やる前から『無理無理無理無理!』と震えてサボった奴なのに。
 ――彼がその身の潔白を証明した直後、地震は起こった。
「うお、まぶし」
 建物の出口まで来てしまって、大輔は今が真昼であるということに気が付く。中では疲れて眠っている者もいて、カーテンはずっと閉めっぱなしだったのだ。
 片腕を庇にしながら、あのときのように白くはない、青い空を見上げた。
 あのとき、何もなかったら。自分は西條にどう声をかけただろう。
 『信じてたぜ』? 嘘だ。信じても疑ってもいなかった。
 『よかったな』? 何が。彼が学校で露骨に避けられ始めた頃、空気に呑まれて目を逸らしたのは大輔も同じだ。
 もっとも、かける言葉を用意出来ていないのは、今も一緒だったが。
「お前は、きっと両方言うんだろうな。梨深」
 いつ知り合ったかもよく思い出せない、別のクラスメイトの顔を想像しながら、笑う。
 咲畑梨深も、大輔が『かわいいのに敢えて口説かなかった』女子の一人だ。食指が動かなかった一番の理由は、趣味ではないから、ではなく――明らかに、西條のことが好きだったから。
 他人の女に手は出さない、それはいつも西條に白眼視される大輔が、女に関してつけている数少ないけじめのひとつ。
「そんでお前は、何の用意もなくたって、タクを捜してるんだよな。梨深」
 西條に対してだけお節介な女子。そのくせ空回って結局苦労を増やしている。
「そんでお前は、いろいろ考えてるくせに、何もしないで丸まってんだろうな。タク」
 頭は悪くないくせに、度胸がなくて損をしている奴。そのくせ、自分は手堅くやっているんだと信じている。
「ッ、あ゛ー!!」
 大輔は叫んで伸びをした。近くの大人に、休んでいる人もいるんだから静かにしなさいと言われたが、知ったことではない。
「そんで俺は、何の義理もねーのに、お前らが気になってしょーがねーんだよな!」
 笑いながら、青空の下に飛び出していた。何日も引きこもっていたから、息を吸う度に肺が洗われていくようだ。あんな大地震の後で空気は汚いかもしれないが、気分の問題。一度動いてしまえば面倒なことはどうでもよくなって、足は前へ前へ出た。
 一日目は収穫なし。二日目も収穫なし。三日目も。
 なんでと訊かれた。なんでそんなに危ない街を歩き回るのかと。
 大輔はすぐに答えた。考えなくても口にしていた。
「ダチだから?」
 自分でも疑問形ではあったけれど。
 日が暮れて避難所に帰るとへとへとで、炊き出しを食べたらすぐに寝てしまう。そんな三日間が、遊び疲れてぐっすり眠った幼少期のようで。もしかしたら西條たちと、大掛かりなかくれんぼでもしている気になっていたのかも、しれない。
 四日目も晴れた。十一月は晴れの日が多いらしいと聞いた。
 今日もご機嫌な大輔は、ファンタズムの曲を口ずさみながら西條拓巳の捜索を始める。廃墟同然のこの渋谷の中。
 思考は随分整理されていた。他にすることもないから。
 恐らく西條は、大輔のことをそれほど好きではないだろうと思う。大輔もそうだ。卒業したら、きっと二度と話もしない。一緒にいた理由を思い出そうとしても不自然なばかりで、つじつまは全く合っていかない。
「でもよ、タク」
 歌を止めて呟く。北。東。南。今日は初めて、西に向かっている。西條拓巳の頭文字と、同じ方角。
「信じないだろうけど。お前らといる時間、俺は結構、好きだったんだぜ」
 西條と梨深の名前を、大声で呼ばわる。万が一にも聞き逃されないように。
 西條と梨深の声に、全力で耳を澄ます。万が一にも聞き逃さないように。
 望むことも、言いたいことも、もう決まっていた。
 もう一度友達になりましょうなんて寒いこと、口が裂けても言えない。ただ。ただ、今一瞬だけでも。あの辛気くさい面を見せて、俺を安心させてくれるくらい、いいだろうと。
 そう願って、叫ぶ。
「タク! 梨深!! いいから生きてりゃ、返事しろ!!」
 四日も続けていれば、喉はもう荒れていた。持ち前の美声も台無しだった。それでも大輔は、それを悲劇と思わなかった。
 感動の再会など期待していない。西條はきっと怪訝な顔で自分を迎える。それでいい。最初から、一度だって、『西條拓巳は、三住大輔に話しかけられて、嬉しそうにしたことなどない』。だからいつも通りだ。
 どんな女より心の壁が厚くて。大輔も別にそれを取り払おうとも考えていなくて。それでいい。
「――タク!!」
 呼ばせろよ。俺が勝手に楽しいんだから。呼びたいんだから。
 梨深と一緒に、俺の知らないとこで笑ってくれるんでいい。交ぜてとか死んでも言わねぇ。
 ただ、もう大丈夫だって、それだけ。
「大ちん!?」
 ……今日も二時間たっぷり怒鳴って、ようやく願った声がして。
 大輔はこの四日が無駄でなかったことを覚り、安堵した。
「こんなとこにいたのかよ」
 確かめられた。西條がそこで震えていた。三住くん? と恐る恐る尋ねてきた。
 お前はそれでいいよと、大輔は笑み崩れた。
「捜してたんだよ。ダチ想いだろ、俺」
 白々しいと、そう思ってくれていい。
 ただ一度、梨深と一緒にいる彼の姿を拝めたのだから、それでいいと。
 十一月の陽射しは今日も平穏だ。