赤い祝福

 珍しいこともあるもんだ、と内心訝りながら諏訪護は退勤した。
 あの先輩刑事が、自分の仕事が残っているのに後輩を先に上がらせるなんて、今夜は雪――はこの季節にはあり得ることだから、槍でも降るのかもしれない。
 乾ききった霞ヶ関から、丸ノ内線で新宿まで寄り道。二〇〇七年も十二月の街はクリスマスムード。
 諏訪はこの雰囲気が嫌いではない。異教の神の誕生を祝う祭。気にならない。どうせ信じていないから、華やかに彩られた建物を単純に楽しんでいる。辺り構わずいちゃついている馬鹿共を除けば愉快なものだった。赤の他人の誕生日でこんなにはしゃげるなんて、みんな本当におめでたい。
 せっかくの『お祭』なのだから志乃にも何か土産を買っていきたいけれど、敬虔な彼女によその神サマ(かっこわらい、を諏訪はつけたくなってしまう)を讃える文面のついたものは持って帰れない。クレイジーな服装の白ひげじいさんのイラストも然り。
 もっと具体的でないもの、それでいて今の時季ならではのものがいい。
 駅の周りで真剣に物色していると、花屋の店員が並べている鉢植えが目に入った。ちかちかするほど鮮やかな赤だった。
「お姉さん、それ一鉢もらえまス?」
 値札も確かめずに声をかけた。元々、志乃に贈るものに糸目をつけるつもりはない。
「はい、大きさが数種類ございますがいかがなさいますか?」
「飾りのついてない中で、一番大きいやつ」
 底の直径が十五センチとは言うものの、上部が広がっていて三十センチ近くに感じるものを勧められた。すんなりと承諾し、示されるままの金を払う。サービスで籠にリボンをかけてくれるというので、それくらいならいいかと志乃の好きなピンクを選んだ。
 さすがに抱えて電車には乗れなくて、タクシーを拾って帰った。

「ただいま。これお土産」
 鉢植えを差し出された志乃は、目を丸くして固まっていた。
 やはり異教の祭に乗じるのはまずかったか。怒ってる? とこわごわ訊くと、いいえ、と志乃はやわらかく笑み崩れる。
「びっくりしちゃった。護ったら、自分のお誕生日なのに私にプレゼントをくれるんだもの」
「……あ」
 思い至って、諏訪は眉をひそめた。仕事中、何度も『十二月六日』と記入していたくせに、今日が自分の生まれた日だということを全く意識していなかった。先輩刑事の態度もきっとそのせいだったのだろう。この職業にはとかく他人のパーソナルデータを覚えるのが得意な連中が多い。
 志乃は両腕を伸ばし、幼子を抱くように鉢植えを受け取ってくれた。
「ありがとう。いつも私のことを大事にしてくれて、嬉しい」
 諏訪もようやく安心して、頬を緩める。間抜けなだけならともかく、志乃を悲しませていたら自分を許せないところだった。
 志乃の白い指が、赤い表面をわずかに撫でる。
「ポインセチアね。きれい。でも見つかったら叱られてしまうかしら」
 志乃はベッドサイドの小さな机に鉢植えを置いた。
 彼女の自室に足を踏み入れることが出来るのは、教祖様を除けばその両親と諏訪ぐらいだけれど、見咎められる危険性は確かにあった。
「そうなる前に、処分しようか」
 志乃をベッドに座らせて、いつも編んでいる髪を勝手にほどいた。緑の黒髪を指先で梳きながら、鉢植えの赤色をひとつ、ひとつ、ちぎっていく。迷いなく。痛みもなく。愛おしい波間を丁寧に彩っていく。その光栄を噛み締めながら、すくい上げた毛先に口付ける。
 どんな宗教の芸術だとて、この女の美しさに敵うものなど存在するはずがないのだ。
「赤い花、似合ってる。すごく」
 熱っぽく囁けば、志乃は小さく首を振った。自身も鉢植えに手を伸ばし、心許ない中心の茎を容易く手折る。
「赤いのは葉っぱ。花はこのかわいらしい方よ。……それとね、樹液には毒がある」
 志乃は花を口許に寄せ微笑んだ。赤い葉に飾られた髪を揺らし、諏訪の脊髄を直接握り込むように、甘く、切なく。
「もし食べたら死んでしまうかもしれないわ」
「いいよ」
 考えるまでもない答えだ。諏訪は言の葉を紡ぐ果実を貪りながら、志乃の身体を汚れひとつない白に横たえる。
 赤い祝福を散らそう。毒の花を殺そう。オレたちには神光の救いがある。
「ねえ、護が生まれてきてくれてよかった。お誕生日おめでとう」
 志乃の手が背骨をなぞる。諏訪もしなやかに反る腰に手を回す。
 『世界』が降誕を喜ばなくても、志乃が笑いかけてくれる。オレは誰よりも幸福だ。
 ――さぁ、この血肉で異教の祭を蹂躙しよう。