池袋乙女ロード殺人事件 - 4/6

 大塚駅は、長崎とは正反対の方面にある。豊島区を西から東へ横断するようなものだった。とはいえ電車なら、それほど時間はかからない。待ち時間を含めても二十分そこそこ、というところか。
「あれ、じゃあ今日は来てないんスか? なんだぁ、ここに来れば大体いるとか言っといて」
 諏訪はウェイトレスの前で、大袈裟に拗ねてみせる。申し訳ございません、と悪くもないのにウェイトレスは愛想笑いで謝っている。
 喫茶店に入るなり諏訪は、『△△さん来てまス? 先に入ってるはずなんスけど』と、判も神成も初耳の名前をしれっと言ってのけたのだ。顔馴染みだというのが設定なのか本当なのかは分からないが、その新しく名前の浮上した男を明らかに知っている口振りだった。
 待たせてもらうとテーブルに陣取って、先程から哀れなウェイトレス――諏訪の甘いマスクにすっかり騙されているらしい若い娘さんに、しきりに話しかけている。どうせ時間が半端で客はあまりいなかった。
「でね、ここでよく人と会ってるから、近くまで来たら寄れって向こうが言ったんスよ? 言ってるほど頻繁じゃないのかなぁ、いつも決まった曜日とかに?」
「そう、ですね。ちょっと髪が長めの、若い男性のお客様とよくご来店なさいますけど……平日の午前中とか、早めの混み合わない時間帯にいらっしゃることが多いですね。今日みたいな夕方は、あんまり」
 判としてはありがたいが、この娘さんちょっと口が軽すぎやしねえかいと思わなくもない。神成も同じ感想らしく、彼女に見えないように苦笑いしていた。諏訪はオーバーに突っ伏してみせる。
「えー? そんな明るいうち、こっちには仕事あるっしょ……今日だって無理に時間作って、職場の人に付き合ってもらって寄ったのにぃ。そんな朝早くから何してんスかその二人は」
「ええと、私たちもお客様のお話はなるべく耳に入れないように心がけていますので……」
「ああ、そうッスよね。すみません、愚痴っちゃって」
「あ、でも。何か、物? のやり取りは、よくなさってたように、思います」
 諏訪の目が一瞬、演技ではない刑事のものになった。だがすぐに『知り合いに会えなかったサラリーマン』の顔に戻って、にこにこと頬杖をつく。
「いろいろ教えてもらっちゃって、どうもッス。お姉さん、優しいッスね?」
「いえ、そんな……」
「せっかくだから、ここのオススメ教えてほしいかな。それで一服したら、また今度出直すんで」
「あ、はい! オススメは、当店オリジナルブレンドの珈琲で……」
 神成が無言で諏訪に冷たい視線を送っている。半分は本当に軽蔑だろうが、半分は違うだろう。神成はまだ、彼ほど巧みに女性から情報を引き出せない。諏訪は人懐こい笑顔を、今度はこちらに向けてくる。
「先輩たちは何にしまス?」
「俺も珈琲で」
「同じで」
 三人は珈琲を飲み終わるまで、『一緒に喫茶店で休む程度には仲のいい、職場の上司と部下』を演じ続けた。判も諏訪もそれぐらいなんてことはなかったけれど、神成だけは最後まで顔が引きつっていた。
 まぁ、それも『ウェイトレスを口説き出す先輩に引いている新人』として、結果的に自然だったので構わないだろう。判は涼しい顔で、なんだか酸っぱいオリジナル珈琲とやらをすすっていた。
「で、諏訪? その何たらって男は何者なんだ」
 店を出るなり問えば、さあ、とあれだけ流暢に喋っていた諏訪の方が何故か困惑顔である。
「昔、学童保育かどこかで顔と名前だけ知ったきりなんスよ。自分より彼のが学年も上だったし、話するような仲じゃなかったんスよね。でもさっき、マルガイ宅に名刺落ちてるの見つけて、まさかって……それで、当時からの知り合いに連絡取ってみてたんス。そしたら職場に近いここには、よく来てるらしいって。接触相手の特定には至らなかったッスけど」
「それでも充分だ、お手柄だぞ諏訪」
 判は背中を叩こうとして、そういうの暑苦しいんでやめてもらますぅと笑顔でかわされた。そしてふと、諏訪は眉を寄せて赤く染まった空を睨む。
「フレパラの『スパークウォーズ』コミュで知り合った、同い年の男とまめに連絡を取っているようだ、というのは聞きましたんで。一回署に戻って、落ち着いてその辺洗い直したいとこッスね」
「「ふれぱら」」
 聞き慣れない単語を判が繰り返すと、何故か神成の声も被っていた。諏訪が振り返り、全力で嘆く。
「高度情報化社会を乗り切る気がないんスか、二人共!」
 判はもうそこら辺は得手の人間に任せることにしているが。
 ちらと、神成を見る。きょとんとしているそこの坊やが、刑事である前に若者であるというのに流行についていけていないというのは、さすがにいろいろと支障があるのでは? と心配になった。
「神成くんは! アカウントの取り方から教えるんで、後学の為にも手伝う! いいッスね!?」
「は、はい。すみません。よろしくお願いします」
 びしっと言う諏訪と、背筋を正す神成。杞憂か、と判は苦笑ひとつ。
 もう茜色が濃い。現段階では、諏訪たちの調査結果を待つ外ないだろう。判は若者たちを引率して、気は進まないながらも池袋署に戻った。

「せんぱーい。判先輩ってばー」
 諏訪に叩き起こされて、判は自分の顔からくたびれたジャケットをどけた。
 池袋署の一室で、椅子に座ったまま寝入っていたのだ。食えるときに食い、休めるときに休む。『デキる刑事』――自分でも笑えるが――の鉄則だ。
「眩しいのかもしれないスけど、その寝方ホトケさんみたいなんでやめてもらっていいッスか?」
「あー、落ち着くんだがなぁ。これ」
 判はジャケットに腕を通し直した。
「で、収穫は?」
「ええ、やっぱりネット上でマルガイと接触した形跡があります。令状ないんで第三者からも閲覧出来る範囲のことしか分からないッスけど。それと会社は三日前から無断欠勤してるそうッス。神成くんに手伝ってもらって、例のカードの当選者リストに名前があることも確認しました。そういうのは得意なんスよね、彼」
 諏訪は判の隣に座り、淡々と報告する。労おうとした判の言葉を、その横顔はぴしゃりと拒んでいた。
「まだ、他の誰にも報告してないッス。神成くんにも口止めしてあります」
「またどうして」
 職場の他に交友関係を掴めなかった被害者。犯行に使われたカードの入手経路が分かっただけでも、大した前進だ。その手柄を諏訪はわざわざ伏せている。何の為に? 訝る判を、諏訪が鋭く横目で見た。
「先輩。この事件で、自分たち二人に実績挙げさせようとしてまスよね?」
 判は答えず曖昧に笑った。看破されているというのはどうにも照れくさい。対して、諏訪は厳しい調子を崩さなかった。
「神成くんは逆ッスよ。この事件を、どうしたって先輩の華々しい経歴の一部にしたいと思ってるはずッス」
「神成が? なんだそれ」
 判にとっては寝耳に水だった。入って間もないペーペーが『窓際の先輩』のお膳立てをしたがる? 全く理屈に合わない。諏訪の口調は吐き捨てるようなものになっていく。
「入ってきてすぐ、神成くんは自分に訊いたんス。どうして判さんほどの人をあんなところで遊ばせておくんですかって。『お利口さん』だから尋ねる相手は相当吟味したんでしょうけど。かなり本気で怒ってたんスよ」
 はは、と判は苦笑しながら頭をかいた。
 神成が自分に、憧れのような感情を抱いているのは知っていた。買い被りだと、判自身は思っている。教科書をお手本に生きてきたような神成の目には、そこに書いていない方法で事件を解決する判は、新鮮に映っただろう。
 それだけだ。判は己の成してきた結果が間違っていると思ったことはないが、過程が決定的に間違っている自覚はこれでもある。未来ある若者が同じ轍を踏む必要はない。だから神成から向けられる純粋な尊敬が複雑なのだ。
「自分は正直、先輩の出世も神成くんの将来もどうでもいいッス。でもね」
 諏訪が立ち上がる。蛍光灯の明かりが逆光になる。白い光を負いながら、諏訪は判を見下ろしている。真っ直ぐに。
「このヤマは、先輩が引っ張って、神成くんがコネ使って、自分が手を動かしてここまで来たんじゃないッスか。それを今更、ふんぞり返ってただけの連中とか、無意味に歩き回ってただけの連中に見返りなしにくれてやるの、ちょっとどころか死ぬほど悔しいッス。だから」
 ――どうせ勝手を叱られるなら、最後までやって捕まえてからにしましょ、先輩。
 諏訪はそう言って肩をすくめて。そうだなと、判はゆっくり立ち上がった。
「神成はどうしてる?」
「さすがに立て続けにいろいろあってしんどかったみたいで。栄養ドリンクすすってぐだぐだしてるッス」
「よし、休憩終わりだ。神成回収してまた出るぞ」
「自分は休みなしなんスけどね……」
「お前が一番体力あるだろうが、我慢しろい」
 諏訪と連れ立って歩き出す。別室にいた神成はパソコンの前でぐったりしていたが、判が声をかけるとぱっと跳ね起きた。あれしきの休息で元気を取り戻せるのだから、若いというのは羨ましい。
「神成、目の前の箱でもうちょいやってほしいことがあるんだがな」
「あ、はい! 出来ることでしたら」
「例の二人の行動範囲の中から、『二〇〇四年以前に建てられた』『現在は使用されていない』建物、そうだな、恐らく『オフィスビル』だ。探してくれ。該当なけりゃまた考え直す」
 判の指示に、わかりましたと神成はすぐキーボードを叩き始めた。諏訪は隣で首を傾げている。
「何の話ッスか?」
「犯行現場だよ」
 判は、愛用のうちわで自分の顔を扇いだ。
「カードショップの彼な、結局の死因何だったと思うね」
「ビニール紐による窒息死じゃないんスか? 縛られてたんだし」
「違う。後頭部に銃創、小口径の拳銃で撃たれてる。銃弾は中に入ったはいいが出られるほどの威力がなく、頭蓋内を旋回して内部組織を破壊、残留。奴さんの脳はぶん回されたプリンみたいになってたそうだ」
「うえ……やめてくださいよ」
「小口径とはいえ、消音装置を使ってなけりゃ周辺に誰もいないところだろう。それと衣服からアスベストが検出された。これも現在じゃ使用を禁止されてるってこた知ってるな? 加えて縛られていたビニール紐に細かい繊維が絡んでた。調べたところ、会社関係のビルによく使われてる敷き込み式カーペットの可能性が高いそうだ。ああいうのはシミ抜きが大変だろ? ホトケさん派手に『漏らしてた』みたいだから、つまり日常的に使ってる建物じゃあないんだろうよ」
 とまぁ、これぐらいは鑑識と昔馴染みに頼んで情報を仕入れてから、判も休んでいたのだ。せんぱぁい、と諏訪が顔を輝かせる。
「ちゃんと仕事してたんスね!」
「ははは、お前あとで覚えとけよ」
 上司たちのやり取りを聞きながら絞り込み作業をしていた神成が、出ました、と上ずった声を出す。
「『豊島区東長崎から大塚周辺』『二〇〇四年以前に完成した、建材にアスベストを使用している』『現在は人の出入りがなく』『床が敷き込み式カーペットである可能性が高く』『死亡推定時刻頃に周辺の人通りが途絶える』『元オフィスビル』、該当二件です。地図プリントします!」
「あー待て、機械に事実が残るのはまだまずいぞ。印刷はナシだ」
 判が慌てて止めると、プリンター通せないなら写メればいいじゃないスか、とどこぞの王妃のようなことを諏訪が言い。歩み寄ってきて携帯でディスプレイを撮影する先輩刑事の横で、じゃあ描き写しますねーと神成は目の笑っていない笑顔でがりがりとコピー用紙に鉛筆を走らせていた。
 つくづく気の合うことで、と判はやはり見守りながらうちわを動かしている。