○○しないと出られない部屋

神成と久野里は『足を一本差し出さないと出られない部屋』に入ってしまいました。
40分以内に実行してください。

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「や。目が覚めたか」
 悪党のような台詞だが、声の主がそんなに器用でないことぐらい、澪にも解っていた。『正義のミカタ』は『悪党』より余程、頭脳労働も演技力も必要としない。
 はっきりしない頭を振りながら、澪は身体を起こした。目の前には、苦笑を――笑っているがアレは心底から『お手上げ』で匙を投げたときの顔――浮かべた神成岳志が、スーツのズボンのポケットに、両の親指を引っかけた状態で立っていて。
 二人がいるのは、遠近のおかしくなりそうな、平行でない直線だけで構成された部屋の中。部屋というより箱。出来損ないのトリックアートの中。二十帖ほどもある空間に一見扉はなく、目の痛くなるような純白の中に、不吉な二色だけが紛れ込んでいる。
 黒いプレートには白いゴシック体で『足を一本差し出さないと出られません。40分以内に実行してください』と素っ気なく書いてあり、そのプレートが掲げられているのこそ、銀色に光るギロチンだった。下には『39:45』というデジタル数字が表示され、一秒ごとに減っている。どうやら澪が目を覚ました段階でカウントダウンが始まったらしい。
「俺の調べたところじゃ、本当に出口はないな。ま、君は自分で確かめないと納得しないだろうが」
 神成は投げやりな口調で言って、その場に胡坐をかいた。精神統一でもするつもりだろうか、澪には関係ないことだ。
 いつ意識を失ったのだかも分からなければ、どうしてこの男と一緒にいるのかも分からないが、今彼を問い詰めたところで絶対に答えなど持っていない。それよりも、言われたとおり自ら調査を始めた方が建設的だった。澪は結局一言も口を利かないまま、部屋の観察を始める。
 まず一番可能性の高い壁面から。扉は本当になかった。塞いだ形跡すらなく、継ぎ目そのものが存在しない。天井も。床も。あらゆる平面があまりにまっさらで滑らか。名探偵も真っ青の完全なる密室。まるで、二人を入れてから蓋をして圧着したようですらある。
 完全に人間業ではない。ギガロマニアックスによる視覚的妄想か、現実化に巻き込まれた――そう判断した澪は、初めて舌打ちしてShitと叫んだ。
「お怒りはもっともだが、女の子があんまりそういうこと口にするもんじゃないぞ」
「あぁ!?」
 この期に及んでカビの生えたジェンダー差別的一般論を持ち出してくるクソ野郎を振り返れば、何故かジャケットと、ワイシャツまで脱ぎ掛けていた。うわ、と口にさえ出さず身を引く澪を見上げ、奴はさらりと言ってのける。
「久野里さんも白衣脱いでくれないかな?」
「お前……」
 最早『あんた』とすら呼ばず、澪は心底からの軽蔑の視線を目の前のケダモノに送った。
「……童貞かよ。どうせ死ぬなら最期に一発って、もうちょっと散り方考えたらどうだ」
「なっ、ばっ、違う! お前みたいなガキと寝るより舌噛んだ方がマシだ!!」
 真っ赤になって言い返してくるケダモノ――もとい刑事殿。その言い草はその言い草で気に入らない澪である。床に座ったままの神成の左膝を、靴先で蹴る。
「おい。まさかとは思うが」
「現状他に手はないだろう」
 神成はまだ耳まで赤くしながら咳払いした。そいつは今引きずるようなネタなのかこの状況下で、というのは藪蛇だろうから触れずにおく。
「何を勝手に決めてる。私はまだあんたにそんな指示は出してない」
「『まだ』って。ほら、じきに出すんだろ?」
「私はあんたの指示に従わない、あんたも私に駄々をこねる。そういうものだと思っていたがね、今まで。急に意を汲むような言い様をしてどうした、思考誘導でもかけられたか?」
「ならもっと気が楽だったかもな」
 澪の挑発に乗らず、神成は不器用におどけて肩をすくめた。組んでいた脚を崩し、伸ばした左脚をそっと撫でる。二十八年、自身を支えてきた脚を、とても真剣な顔で。
「若くて優秀な方を優先して残すのは、文化を持つ人間としても、単なる生物としても当然のことだろう。俺ので済むならくれてやる。君は無事に帰れ」
「刑事が足をなくしてどうする」
 澪が苛立って詰問しても、神成は静かな声音を崩さない。
「歩き回るだけが警察官じゃない。総務にでも移ってデスクワークするさ」
 こんなのは有村がいなくても分かる。嘘だ。彼ぐらい刑事であることにこだわる警察官を、澪は他に知らない。他の警官に詳しくなんてないけれど、それでも。
 そして分かる。一方でまた限りなく本音だと。彼は先に目を覚まして部屋の調査を終えていた。本職である彼は、澪よりも深刻に『ここが物理的に不可能なまでの密室』であることを受け止めたはずだ。そして一人で決断を下した。『止血さえ出来ればあるいは』と。
 人として立派かもしれなかった。男としてスマートかもしれなかった。大人として素晴らしいのかもしれなかった。警察官として当然かもしれなかった。
 けれど、そんなこと、澪は全く興味がない。神成の左すねを、思いきり踏んでやる。いってえと彼が情けない悲鳴を上げる。脚を切り落とそうという奴が、これぐらいで騒ぐなんてちゃんちゃらおかしい。
「らしくないな、神成岳志ともあろう男が」
 澪が鼻を鳴らせば、え? と目の前の間抜けは顔を上げて。澪はギロチンの下のデジタル時計を、片手の親指で示す。
「いつからそんなに諦めがよくなった? 見ろよ、あと28分残ってる。あのギロチン、恐らく脚を切断するのに2秒とかからないが?」
「……そうだな」
 神成は苦笑して、Tシャツの上にワイシャツを羽織り直した。いつもの表情で、手際よく青いネクタイを締めていく。
「ギリギリまで粘ろう。あっさり諦めるのなんて、実は性分じゃない」
「知ってるよ。あんた相当根に持つだろう、『先輩』のこととか」
「耳が痛いね」
 立ち上がりながら神成はジャケットを掴んだ。その胸ポケットからビニールのパッケージが落ちる。ティッシュか何かだろうと思ったが、神成はそれを見て目を丸くしていた。そして何故か、唐突に声を上げて笑い出した。
「おい、ついに気が触れたか?」
 澪が訝しんで問うと、神成は笑いながら首を横に振り、指の背で涙を拭いた。パッケージを持ち上げて、澪に見せる。
「久野里さん。俺たち、五体満足で出れるかもしれないぞ」
 澪もそれを見て、にやりと笑う。まだ無事に地面を踏みしめている彼の左脚を、再び蹴る。
「感謝しろよ、あいつにも私にも」
「そうだな。早まらなくてよかった。やっぱり君は最高だ」
 興奮しているのかハリウッド映画の下手な翻訳みたいな台詞を吐いて、神成はそれを刃の下に仕込んだ。彼が安全圏まで離れたら澪が縄を緩めて。落ちてきた凶刃で『足』は見事真っ二つ、1秒かかっていないかもしれない。
 無機質な電子音。人が通れるだけの空洞が、突如壁面に出現し。歓喜の声すら上げず不敵に笑み交わし、柄でもないのにハイタッチ。
「香月さんにお礼しないと。スルメありがとうって」
「グラフィックボードでも新調してやれ、また動きがカクつくらしいからな」
「片足に比べりゃ安いもんだ。久野里さんも、選ぶの手伝ってくれるんだろ?」
「私の『足』も一応助かってるからな。それぐらいの義理は果たしてやってもいい」
 そして二人は、このくそったれなゲームをクリアーし。
 並んで、両足で歩いて、現実へと帰っていった。