思い定めた一心の

 蒼穹から、雲の欠け落ちるように白馬が降りてくる。
 ジャムカにとってはいつまで経っても見慣れぬ光景ではあったが、不思議とそれを奇怪だとか不快だとか感じたことはなかった。天馬の蹄は、やがて音もなく軽やかに大地を踏む。騎手の鮮やかな緑の髪が、ジャムカの故郷の木々のようにざぁと風に流れた。
「先程は危ないところを助けていただき、ありがとうございました。ジャムカ王子」
 控えめながらよく通る声で、フュリーは微笑んだ。ジャムカはただ、彼女が天馬から降りてくるのを見守るしかない。
「いや、本当はあんな窮地に陥る前に、先手を打って片付けておくべきだった。俺は礼を言われるどころか、君に叱責されてもおかしくない」
「いえ、あの状況で伏兵を予測するのは、神でもない限り不可能かと――」
「『神』、ね」
 フュリーの庇う声を振り切って、ジャムカはそこいらの木陰に腰を下ろした。もう行ってしまって構わないのに、フュリーは天馬を連れて、とことことついてくる。だから独り言のつもりだった弱音だって、彼女の耳には入れてしまった。
「俺は聖戦士の血筋でもなく、彼らみたいに超人的な力はない。それを守護する尊い志もない、『王族』を名乗るだけのただの地方豪族の一派だ。……しかも意気地なしの」
「どなたが、貴方を意気地がないなどと?」
 フュリーの声は静かだった。逆光で顔が見えない分、それこそヴェルダンに棲むという精霊に問われている気分だった。素直に答えが口をついて出たのも、そのせいかもしれない。
「弓を選んだとき、兄貴たちに。お前は直接肉を裂いたり、骨を断ったり、血を浴びたりするのが怖いのだ、結局は人を殺すくせに綺麗でいたい姑息者だと――嘲笑われた」
 彼女は黙って佇んでいた。顔が見えないのでその真意が分からず、ジャムカは不安になり近くに座るよう勧める。はいと短く頷いて隣に腰を下ろす彼女は、樹の影で暗くはあるけれど、きちんと表情の見えるいつものフュリーに戻っていた。
「ジャムカ王子は、姑息者ではないと思いますよ」
 フュリーは目を見て、台詞を紡ぐ。たどたどしくても、真実と分かる言葉で、誠実に。
「弓というのは、勢いで相手を傷つけることが難しいものだと聞きます。引き絞る強い意志がなければ、まともに武器として機能しないものだと。ジャムカ王子は熟考して、そうと覚悟を決めたときしか相手の血を流させない――そうお決めになったから、弓を選ばれたのではないのですか?」
「どうかな」
 だからこそ、逸らしたくなるときもある。ジャムカはつまらない雑草の生えた地面に視線を落とした。
「熟考と言うけど、俺はいつも考えすぎなんだと師には言われたよ。ああしたい、こうしなければ、そうするべきだ、そうやって頭で凝り固まるからいざというとき出遅れると」
「私も、同じような叱られ方をしたことがあります」
 フュリーは苦笑して肩をすくめた。それはレヴィン王子に? とは、何となく聞けなかった。フュリーはふと笑みを消すと、すっと宙に手を伸ばし、見えない何かを掴む。きっと透明な槍だった。
「我々天馬騎士は、弓矢に例えられることもあるのです。遥か上空から、これと思い定めた相手の心臓を一息に穿つ。その姿はさながら、蒼穹から放たれた一条の弓矢であると。でも私は、それを殊更卑怯とは思いません。天馬騎士とは元来そういうものだからです」
 あまりにも明瞭に凛々しく、彼女は言い切った。それなのに、手を下ろしジャムカに向ける笑顔は泣きそうに遠慮がちで。
「ですから、あの。上手く申し上げられなくて、恐縮なのですが。ご自身のご気性はともかく、弓使いも『元来そういうもの』だと心に決めてしまえば、ジャムカ王子も武器に誇りを持つことが、お出来になるのではないでしょうか? 天馬騎士にとって弓は大敵ですが……いつも私たちの至らなさを遠くから補ってくださるジャムカ王子の弓は、その、とても頼もしいと、本心からそう感じております」
「ありがとう、フュリー」
 ジャムカも不器用な自覚を持ちながら、笑顔をつくってみせた。
 彼女はいつもそうだ。北の雪国からやってきたはずなのに、南風のようにあたたかく、ジャムカの頑なさをほぐしていく。
 ジャムカはいつものように悩んだ。熟考して、息を呑んで、そして、口を開く。
「なぁ。だったら、その、今も。思い定めて弦を絞ったなら、放っても許されるものだろうか?」
「え? それが、ジャムカ王子がお決めになったことでしたら――」
 フュリーが無防備にそう答えるから、ジャムカは弓ばかり持っている両手で、彼女の身体を思い切って引き寄せた。腕の中でフュリーが硬直して息を止めているのがよく分かる。
「すまない。どうしても、君を抱きしめたくて」
「あ……」
 フュリーの震える手が、恐る恐るジャムカに触れて。突き飛ばされるのかと思ったら、彼女は意を決したように、ぎゅっとジャムカの背にしがみついた。男女の抱擁というよりは、子供が親からはぐれまいとするみたいに。ジャムカのずっと憧れた緑の髪は、今すぐ傍で香っていて。
「これからも、君を守っていても、いいか?」
「はい……。あ、あの、いいえ! 私も、貴方を、お守りします、ので……」
 頭でっかちな二人の思い定めた一矢は、どうやら互いの心を射抜けたらしい。