朽ちない約束

「ヨファ!」
 世界が色を取り戻した日。
 鮮やかな平原を見渡せる場所で、ヨファは石段に腰掛けていた。
 何をしていたのでもない。誰を待っていたのでもない。ただ自らの髪にも似た、鮮やかな原っぱを眺めていた。
 少女がその傍らに立ったときにも、特に顔を上げずに。
「一体どこにいるのかと思った。捜したんだよ」
「何で?」
「なんで、って」
 少女はむくれながらヨファの隣に腰を下ろした。
 表情に気づいたのは、ヨファがミストの方へ視線をやったからだ。
「ヨファ、女神様が一人に戻ってからわたしのこと避けてる」
「避けてないよ。忙しそうなミストに近づいてないだけ」
「だってお兄ちゃんが――」
 ヨファは蒲公英を手折り、綿毛に息を吹きかけた。白い羽衣を纏い、種は風の赴くまま昇っていく。
 二人の視線も自然、空へ向かう。
「ねぇ、ヨファ……。あのとき言ってた話って、何?」
「あのとき?」
「帰ってきたら、話があるって言ってたよね?」
「忘れたよ」
 茎を捨てる。ミストは険しい顔で詰め寄ってくる。
「ウソ! 言ってたもん。大事な話があるからって」
「知らない」
「なにそれ! わたし、ずっとそのこと考えてたのに。聞かないうちにヨファがいなくなっちゃったらどうしようって、ずっと気にして、心配して……。もういい! 知らない。ヨファのバカッ!!」
「ミスト」
 ヨファは、立ち去ろうとしたミストの左手を掴んだ。相変わらず折れそうに細い手首だった。
「僕も、ミストのことばかり考えてた。世界が滅ぶかもしれないのに、生き残った人同士で殺し合ってるのに、僕はずっとミストのこと考えてた。勝手だよね。でもミストがいなかったら、僕はこんなに必死で世界を守ろうと思えなかったと思う」
 跪くように、彼女の前で片膝をつく。
 こんな真似事、兄に比べれば様になってはいないのだろうけれど。
「ミストこそ、忘れてるんだろう。僕が君にした、何よりも大事な誓いのこと」
 遠い遠い、幼い日々。傭兵砦の傍で、二人一緒に遊んでいた。
 ミストのお気に入りの場所。ここに似た花畑。
『はい! ミストちゃん、おひめさまね』
 ヨファはミストに教わった通り、花の首飾りを編んだ。
 力作を首にかけてもらい、ミストはくすぐったそうに身体を揺すって、笑った。
『じゃあこれ、ヨファにあげる! ヨファは王さまね』
 だがヨファは、いやだよぅ、と頭上の冠をすぐに取ってしまった。
『おうさまは、おひめさまのおとうさんなんだよ。ぼくミストちゃんのおとうさん、やだ』
『じゃあヨファ、なにがいいの?』
『きしがいい』
『きし?』
 首をかしげるミスト。ヨファは小さな頭を縦に振る。
『きしは、おうさまとかおひめさまとか、そういうひとをまもるんだって、オスカーおにいちゃんがいってた。だからぼく、ミストちゃんのきしになる』
『ありがと、ヨファ』
『うん、あのね、だからね、ミストちゃん。ぼくがちゃんとミストちゃんをまもれるようになったら、』
「あ……」
 ミストは頬を赤らめた。ヨファは俯いたまま、小さな箱を取り出す。
「僕は騎士にはなれなかったけど、もう君を守れるよ。だから」
 ――ミストちゃん、ぼくとけっこんしてくれる?
「一生、君を守ってもいいかな」
 ヨファはそれをミストの指にすっと嵌めた。摘んだばかりの生花を絡めた、木製の指輪。
「ミスト。僕は、ミストが好きだよ。それはボーレやオスカー兄さんへのものとは違う『好き』なんだ。ミストのためだけの特別な『好き』なんだよ。けどそれは、僕の勝手な感情だから」
 邪魔なら、捨てて。勝手に土に還るから。
 指先で一度指輪を撫でてから、ヨファはミストの手を離した。
 立ち上がり、彼女の沙汰を待つ。長き想いの行く先を。
 ミストは震える声で、答えた。
「わたし、みんなが好き。お兄ちゃんもボーレもオスカーも……傭兵団のみんなが好き。ヨファもそう」
 ――予想の通りか。ごめん、と呟いてヨファは立ち去ろうとする。
 だがそれをミストが激しい声で、止めた。
「だけど違うの! ヨファだけ違うの。一人だけ、別の『好き』まで一緒にくっついてる……」
 ミストは泣いていた。左手を大事そうに抱いて、泣いていた。
「わたしの方が余分にヨファのこと好きなんだから。なのにヨファ、知らないとか忘れたとか言うんだもん。ひどいよ。そんなこと言うと、嫌いになっちゃうから」
「嫌いになった?」
「いじわる言わないで」
 顔を覗き込むと、ミストは顔を背けた。
 ヨファは思わず笑ってしまって、またミストに叱られた。
「どうしたら許してくれる?」
「……もう、どこにも行かないって誓って」
「誓うよ」
 僕の居場所は君の隣だけだ。
 ミストは目を閉じて頷いた。ヨファは細い身体を抱き寄せて、囁く。
「大好きだよ」
「うん」
 新たな誓いの口づけを、あたたかい陽射の下、風と花々が祝している。