鼈甲色の王子

 リョウマの白夜王としての即位式も、エリーゼとの祝言も滞りなく終わった。
 二人はその後、戦時中には秘境に預けていたシノノメを引き取り、正式な王太子として立てた。だが腕っ節だけは父譲りなものの、どうにも言動から幼さが抜けず、リョウマはほとほと困っていたのであった。
「そんなもんじゃないの」
 タクミは、暗夜の王弟に借りたという書物に目を落としながら言った。あまり広くないリョウマの執務室には、大抵軍師殿か弟が(数えるならば忍も二人)いる。
 備え付けの棚に収められた書物はどれも貴重だが、あまり手を伸ばされてはいない。それでも埃を被ったものが一つもないのは、ひとえにユキムラのまめな努力のおかげだろう。
 タクミが頁を繰る。白夜の縦書きの書物とは逆の方向に、視線が動くのだった。
「キサラギだって口を開けば狩りの話だよ。秘境で身体は大きくなってたって、実際まだ産まれて間もないんだからさ。多少子供じみてた方が可愛げもあるだろ」
「そういうものか……」
 壁際で読書する弟を見ながら、リョウマは文机の上で両手を組んだ。
 確かに、リョウマは我が子の実年齢を何歳と定義すればいいのかさえ分からない。王妃とさほど歳の変わらぬ王太子の登場は、白夜国民にも動揺を与えた。いくら口で言ったとて、信じられない者もあるだろう。
 だからこそ、リョウマとしては息子に一刻も早く『王子』たるに相応しい者となってほしい。自分から身分を伏せて、秘境に追いやっておいて、都合のいいときだけ父王面しようというのも甘いのかもしれないが。
「リョウマ兄さんは、義姉さんを自由にさせてる時点で、シノノメの教育もある程度妥協しないといけないと思う」
「それは違う」
 タクミの言葉に、リョウマは思わず立ち上がった。
 書きかけた書類がこぼれて順番が分からなくなったが、その憂鬱な作業は後だ。
「王妃に求められる包容力と、王子に求められる寛大さは非なるものだが、その根底にある優しさは通じるものがあるはずだ。エリーゼの明るさがシノノメを能天気にしている、と断言するのは」
「ああはいはい、僕が早計だったね。――ていうか僕が思うに、兄さんはさ」
 タクミが言いかけたとき、執務室の襖が揺れた。白夜広しといえども、襖と障子をノックするのは一人だけだ。
「どうぞ」
 タクミが勝手に返事した。しかも自分は本を読みながらである。しかしそこにいる人物の手前、リョウマも無作法を咎める気になれないのだった。
「リョウマさん、ちょっといい?」
 エリーゼが襖の前で正座していた。この頃は、サクラと揃いであつらえたという桜の小紋を着ていることが多い。白夜に馴染もうと懸命な妻を見ると、リョウマの激務の疲れも抜けていくのだった。
「どうした、エリーゼ」
「えっとね、あたし、ヒノカさんの結婚式、イロトメソデ? っていうので出たいんだけど。変かな」
「いいと思うぞ。ヒノカもきっと喜ぶ。我々の祝言のときも、ヒノカはお前の晴れ姿に感激して泣いていたからな」
「そ、そう? えへへ」
 エリーゼは頬を染めながら笑った。その所作はどんどん大人びて、洗練された淑女になりつつあるのだが、その分ふと見せる少女のままの部分が愛らしい。
 タクミが咳払いをして、本を閉じる。
「僕はオボロの店に取り次げばいいんだね? 王妃御用達なんて随分な栄誉だ」
「ありがとう。オボロに会うのも式以来で嬉しいな」
 エリーゼは廊下に座ったままにこにこしている。そんなところにいないで入って来い、そう言おうとしたとき、また別の誰かの声がする。
「母さん! こんなところにいた」
「あ、シノノメ」
 どたどたと遠慮のない足音が響いてきて、息子がちょうどリョウマから正面に見える位置で立ち止まった。
 シノノメの視線に、敵意はない。だが父には、母に向けるほどの情を見せないのだった。特にリョウマに挨拶はせず、母を見下ろす。
「こないだ言ってたやつ、用意してもらったぜ。何種類かあるから選んでくれよ」
「本当? うん、ちょっと待ってね」
 エリーゼもいそいそと立ち上がる。母と共に去ろうとする息子に、シノノメ、とリョウマは声をかけた。
「最近、城下町でお前を見かけたという声をよく聞くが」
「なんだよ。鍛錬はサボッてないし、市井の生活を見ることだって王族には大事だろ?」
 シノノメは口唇を尖らせる。過ごした時間はまだわずかのはずなのに、ひどく母に似ているのだった。
「それもそうだが……お前は、王族としての自覚を得ることの方が先だ」
 苦々しい思いで言う。なまじエリーゼが市民と馴染む王族だけに言いづらいのだが、母とは順序が逆である。エリーゼは王族として育ちながら、同じ地平で民の声を聞くことが出来る。基礎と自覚があってこその親しみである。
 だがこのままではシノノメは、民衆に紛れる程度の王子になってしまうだろう。
「覚悟、だろ。分かってるって。でも今は、先に済ませたいことがあるんだ。行こう母さん」
「あ、ちょっと、シノノメ! ごめんね二人とも、また後で」
 シノノメは、強引にエリーゼを連れて行ってしまった。
 みっともなく追いかける気にもなれなくて、リョウマは嘆息した。
「……リョウマ兄さんがシノノメを秘境から引っ張り出してきたの、戦いの後だろ」
 タクミがぽつりと呟きながら、本の背表紙を撫でた。
『世界人類非同一論』
 当たり前のことが小難しく書かれていた。
「僕らにとっても、古代竜の戦いは神話の世界だった。アクア姉さんたちのおかげで意図せず体験してしまったけど、シノノメにとっては今でも戦争や国家間の諍いについては物語の中のことなんだよ。こればっかりは経験させてやる訳にはいかないんだから、せめて今はいろいろ感じたり、考えたりする期間にしてあげるべきじゃないのかな」
「随分悠長だな」
 リョウマが刺すと、僕に焦らなくてもいいと言ったのは誰だったっけねとやり返された。タクミは本の角を肩に載せ、襖に手をかける。
「僕がさっき言いかけたのはね、兄さん」
 立ち去り際、視線だけで振り返り、呆れた目で言った。
「僕には、兄さんがシノノメに嫉妬してるようにしか見えないけど? ってことさ」
 心外だ。リョウマは嘆息して、サイゾウ、と呟いた。どこからかサイゾウが現れ、恭しく頭を垂れる。
「サイゾウ。俺はそう見えるか」
「お答えしかねます」
 何のことですと聞かないのだから聞いていたのだろうし、それでも思考の間すらなく、答えかねるときたものだ。ほとんど、そうですねと言われたようなものではないか。リョウマは頭を押さえ、少し換気をしてほしいと頼んだ。サイゾウが障子を開け、緑が控えめに目に入ってくる。
 ちょうどカゲロウが三人分の――シノノメが来る前に席を外していた。それでタクミとエリーゼがまだいると思ったらしい――お茶を持ってきて、リョウマも臣下に付き合ってもらいながら、縁側で一休みということになった。
「しかし、改めて父上を尊敬するな。少し兄が出来たぐらいで得意がっていたら、男親というのはどうも勝手が違う」
「同感でございます。こちらも兄は何とかこなしたものの、愚息はほとんど懐きませんで」
「グレイか。確かにあれも気難しそうなところがある。お互い苦労するな」
 リョウマは茶請けの味噌漬けをかじった。サイゾウの息は、こういうものより甘いものを好むのだそうだ。
「血は半々とはいえ身を裂いたのは女。戦時ゆえ乳こそ与えられなんだが、母に懐くは道理であろう」
 カゲロウはかすかに微笑みながら、湯呑みの底に手を添えた。覆面越しだがサイゾウが顔をしかめるのが分かる。
「男が種を蒔くぎり知らぬ体でいたような言い方はよせ、カゲロウ」
「まぁそう怒るな、サイゾウ。俺も少し耳が痛かった」
 リョウマは茶で喉を潤した。旨い。せめてシノノメも、こんな時間だけでも共にしてくれたらいいのだが。そうすれば少しは打ち解けて、話を聞いてくれるようにもなるだろうに。
「俺は物心ついた頃から、父の背を追うことに喜びを見出していた。そう在れなかったことが既に、俺の失態であるのだろう」
「だそうだ、五代目サイゾウよ」
「やかましい。先ほどから得意げに、賢しい女だ」
 同じく、自らは幼き頃より先代に憧れてきたサイゾウにとっては、息子に範とされないことは多少なりとも屈辱のようだ。
「難しいものだな、人を育てるというのは」
 とはいえ、自分の息にさえ信頼されないのは、王として不甲斐ない。
 早急に手を打たねばと思いつつ、リョウマは雲ひとつない天を仰いだ。

 

 数日が過ぎ、リョウマはまた書類の山に埋もれていた。
 処理はしている。処理はしているので書類そのものは入れ替わっているのだが、総量が一向減らない。暗夜との講和に関する確認事項、透魔という再興国家との新規条約、その他被害を被った周辺諸国への支援など、やるべきことが多すぎて、働けば働くほど休息が遠くなっていく気すらする。
 だからと言って手を抜くなど言語道断だし、怠ければ後でしわ寄せが来るのも分かりきっているから、リョウマはこの果てなき紙の断崖絶壁に不屈の闘志で挑み続けるのだ。
「リョウマ様、もうこの辺で」
 だが流石にユキムラにまで止められてしまった。あの仕事中毒のユキムラにである。
「私の方にも権限がある書類に関しては処理しておきますので。ご壮健であられるのも王のお役目ですよ」
「俺はそんなにひどい有様か」
「ひどいかそうでないかと問われましたら、前者かと」
「……そうか。すまない、では休む。お前も無理はするなよ」
「恐れ入ります」
 立ち去り際、そういえば王妃様がお捜しのようでした、と言われて、エリーゼの部屋に行った。
 エリーゼはいつもの小紋ではなく、明るい色の紬を着ていた。捜していたというくせに、意外そうな顔でリョウマを見る。
「あれっリョウマさん、どうしたの?」
「ユキムラが仕事を替わってくれてな。お前こそ、その着物はどうした」
「あっこれね、シノノメが『今日は特別な着物で、父さんの傍にいてくれ』って言うから。それでさっきリョウマさん捜してたの。ユキムラさん覚えててくれたんだね」
 エリーゼはリョウマの贈った籐の椅子から立ち上がり、座布団を勧めた。この頃は正座にも慣れたらしく、リョウマの隣に綺麗に腰を下ろす。
「これはね、アクアおねえちゃんにもらった着物なの。ミコトお義母さまが、あたしの生まれたお祝いに用意してくれたものなんだって」
「母上が……?」
 エリーゼは左の袖を、右手でゆっくりと撫でた。まるで愛し子に触れるようだった。
「暗夜と白夜が分かり合って、生まれた赤ちゃん――あたしと、アクアおねえちゃんが仲良くなれたら、渡してあげなさいって預けていたんだって。今は透魔のことも結ぶ、本当に大切な着物になったもの。だから、一番にこれを選んだんだ」
「そうか」
 リョウマは妻の髪をやわらかく撫でた。
 久々に、しかも意外な口から、母の名を聞いた。生母ではなかったが、リョウマたちを慈しんでくれた。
 そしてエリーゼもミコトのことを、『義母』と呼んでくれた。もう彼女は、リョウマのただの伴侶ではない。心から、白夜の家族となったのだ。
「リョウマさん」
 エリーゼは呼びかけながら、リョウマの頬に片手で触れた。もう片方の手で袂を押さえながら、微笑む。
「そういうときはね、泣くか笑うかしなくちゃ。嬉しいことに難しい顔してちゃ、ダメだよ」
「そうだな」
 リョウマは不器用に笑い返しながら、妻の細い手首に触れた。
 本当に、彼女を選んでよかった。彼女を喪う未来が訪れなくて、本当によかったと、心の底から思った。
 そのままユキムラに甘えて、二人で他愛ない話をした。この前サクラと一緒に食べた餡蜜の美味しさに驚いただの、カミラが瓶まで美しい香水を送ってくれただの、ヒノカと一緒に料理を作って大失敗しただの、今度暗夜を訪れるときはエルフィに会えるよう兄に頼んだだの、そんな話だ。
 リョウマはあまり口を開かず、相槌を打っているだけだった。ころころ変わる表情を眺めているだけで充分だった。
「それでね――」
 エリーゼがまた新しい話題を提供しようとした、そのとき。
「リョウマ様、こちらにおられますか!」
 サイゾウの声が無遠慮に割り込んできた。普段はごんな無作法をする臣ではない。
 リョウマは険しい顔つきで立ち上がった。
「何があった」
「シノノメ様が、城下で喧嘩に巻き込まれたと――!!」
 最後まで聞く前に、エリーゼの部屋を飛び出した。心配よりも怒りが先に立った。エリーゼは、シノノメの頼んだとおりに大事な着物に身を包んで待っていたというのに。一体シノノメは、何をやっているのだ?
 リョウマが城下町に着いたとき、騒ぎはもう収まっていた。城下兵たちが、野次馬を寄せ付けないよう民の動きを制してくれている。
 シノノメはその中心で、身体中に血を滲ませて立っていた。リョウマは駆け寄り、俯く息子の胸倉を掴んだ。
「説明しろ、シノノメ。この騒ぎは何だ」
 シノノメは答えない。糸の切れた人形のように下を向いたままだ。立っているのなら意識はあるはずなのに。リョウマは焦れて声を荒げる。
「シノノメ!! 返答次第ではお前とて――」
「あまりシノノメ様をお責めにならないでくださいませ、リョウマ様」
 場違いに優美な声で言いながら歩み寄ってきたのは、ユウギリだった。母の代から仕える金鵄武者である。リョウマもユウギリ相手では、あまり強硬な態度には出られない。
 とりあえずシノノメから手を離した。
「どういうことだ、ユウギリ」
「ええ、僭越ながら私からご説明させていただきます」
 戦闘狂と称される彼女も、平素はただ穏やかな女性なのであった。ゆっくりと、事の顛末を話し始める。
 シノノメが喧嘩を吹っ掛けたのでも買ったのでもなく、素行の悪い若者たちが一方的に因縁をつけたらしいこと。
 シノノメはあくまで言葉による説得と、防御に回っていたこと。
 非番のユウギリがたまたま通りかかり、若者たちを懲らしめて役人に引き渡したこと。
 最後まで、シノノメは相手に手を出さなかったこと。
「シノノメ様はよく我慢なさいましたわ。ご自身が民間人を傷つけたら、ご両親のお立場がどんなに悪くなるか、しっかりとご承知でいらっしゃいました。流石ミコト様のお孫様、リョウマ様のご子息です。このユウギリ、感服する外ないほどご立派でございました」
 ユウギリは深々と礼をする。
 リョウマはシノノメを見た。やはり地面を見たまま口唇を噛み締めている。
「今の話は本当なのか、シノノメ」
「――父さん」
 シノノメは顔を上げない。震える声は、泣いているようにも笑っているようにも聞こえた。
「『負けない』のって、意外と簡単だったぜ。でも、『守りきる』のって、こんなに難しかったんだなぁ……」
「え……」
 何を言っている、と問おうとしたとき、エリーゼの声が聞こえた。
「シノノメ! シノノメ、大丈夫!?」
 エリーゼが転びそうになりながら走ってくる。まだ、激しい動きが出来るほど和装に慣れていないのだ。
 やっと見えたシノノメの表情は、婚前まだ頼りなかった頃のエリーゼに似ていた。
「ごめんな、母。簪……折れちまった」
「かん、ざし?」
 リョウマの疑問にシノノメは頷いて、懐から小さな包みを取り出した。透かしの入った鼈甲の簪は、根元からぽっきりと折れている。
 エリーゼはリョウマに並び、整わぬ息で話し始めた。
「シノノメはここのところずっと、城下でいろんなお店のお手伝いをしてたの。頼むから父さんには黙っててくれって言うから、あたしたち、リョウマさんには隠してたんだけど……」
 あたしたち、というからには、サイゾウとカゲロウも当然知っていて言わずにいたのだろう。
 リョウマは再びシノノメに詰め寄る。
「何故言わなかった。そうすれば俺だって、お前が遊んでいるなどとは――」
「俺は……!!」
 シノノメは折れた簪を握り締めて叫んだ。もう用をなさない棒切れを潰すように掴んだ。
「俺だって、父さんの言うようにちゃんとした王子になりたかったんだ。でも俺は、そもそも『白夜王国』を知らない。だからどんな人が生きて、どんな風に暮らしているのかちゃんと知りたかった。俺の食ってるものがどこから来て、俺の着ているものが何で出来ているのか、自分で知りたかった。それで、『王子だから』渡されたんじゃない、『働いたから』もらえる金で、母と――父さんにも、孝行したかったんだ。一人前だって、証明したかったんだ」
 でもこのザマだ、とシノノメは自嘲する。小刻みに揺れる、まだ若く細い肩。
 王になったばかりのこの身で、自分はそこに何を負わせようとしていたのだろうと、リョウマは息子の左肩に手を置いた。
「お前の性根を疑ってすまなかった、シノノメ。俺の方こそなんて無様だ」
「……父さん?」
 シノノメの右手を取り、雷神刀の柄に触れさせる。いつか彼の腰についてくる熱の一部を、伝える。
「この雷神刀を継ぐには、命の重さを負う覚悟が必要だ。確かに今のお前には相応しくないだろう。だがお前は王族として、『振り下ろさない拳』の尊さをちゃんと知っていた。闇雲な強さだけで全てを押し潰さない、それもまた覚悟だ」
 雷神刀の帯びる光がシノノメの、鼈甲に似た母譲りの金髪を照らす。まだ遠い未来、その手に納まる日を夢見るように。
「なぁシノノメ。鼈甲は、直るぞ。きちんとした細工師に頼めば、きちんと直る。一度折られたぐらいで、お前まで折れるな」
「そうだよシノノメ。ヒノカさんの結婚式に間に合わせなきゃいけないんだから、へこんでる暇なんてないよ。腕のいい細工師さん、捜しに行こう? 今度はお父さんも一緒にさ!」
 エリーゼがいつものように、明るく笑う。つられたように、シノノメも最高の笑顔を見せてくれた。
「そうだな、今度こそちゃんとやり遂げるよ。ありがとな、父さん、母さん!」
「よかったね」
 タクミは相変わらずリョウマの執務室で私用の本を読んでいる。
『パンデミックジェラスオブアフェクション』
 もう意味すら分からない。
「じゃあヒノカ姉さんの式にはシノノメも出るんだね。そうしたらキサラギにもちゃんと支度させないと。途中で飽きて騒ぎ出さなきゃいいけど」
「そこまで子供でもないだろう。我が子を信じるのも親の務めだぞ」
「なんだろう、正論なんだけどリョウマ兄さんに言われるとすごく腹が立つよ」
 リョウマはシノノメに贈られた羊毛筆の使い心地のよさに気を取られ、弟の苛立ちにも無頓着である。タクミは聞こえよがしに嘆息して本を閉じた。
「心配して損した」
「心配してくれたのか?」
「別に」
 出て行こうとするので、世話をかけたなとリョウマが言うと、本当だよと顔を真っ赤にしながらタクミは襖を叩き付けていった。
 静かになった部屋で、幾分減った書類を見ながら、ふむとリョウマは息をつく。
 外からは、テアワセーと騒ぐヒナタとシノノメの声が聞こえてくる。
「……よし」
 この平和のために、さっさと紙の嵐を片付けてしまうとしよう。
 白夜王国には、今日も鼈甲色の陽射しが降り注いでいる。