つないでむすぶ

 星の綺麗な夜だった。
 暗夜王妃ヒノカは、寝所の鏡の前で短いなりに髪を梳っている。戦姫と呼ばれた彼女にも、まだ残っている女らしい習慣の一つであった。
 同じ部屋で暗夜王マークスは、盛大に嘆息した。人前で弱音を吐かない彼だから、今のは精一杯気を許してくれているのだろうと思うと嬉しい気持ちもなくもないが、やはり妻としてヒノカは心配だ。寝台に横様に座っている彼に歩み寄り、隣に腰を下ろす。
「何かあったのか? 私でよければ、話を聞こう」
「いや、何もない。……何にもならなかったのが、問題だった」
 固辞せず素直に愚痴を吐く辺り、随分参っているように見えた。マークスは右のこめかみを押さえて眉間にしわを寄せる。
「あなたの兄君と私は、やはりあまり相性がよくないのかもしれない」
「リョウマ兄様と何かあったのか!?」
 ヒノカが詰め寄ると、マークスは緩慢に首を横に振る。
「いや、だから、何にもならなかった」
「要領を得ないな。今日の会議、一体どんな有様だったんだ?」
 問われ、マークスはしぶしぶと言った風に、事の顛末を話し始めた。
 この日、透魔王国で、三国会議が行われた。長らく争ってきた国と一度滅んだ国、決め直さねばならないことは山積みだ。
 白夜王は、興ったばかりの透魔と資源の少ない暗夜には余裕がなかろうから、かかる問題の大半は白夜が負担しようと言い出した。暗夜王――マークスは、いやいや暗夜もそれなりの国、透魔を共に支えるために二国で半々負担しよう、と提案した。
 白夜王は、いや遠慮することはないこういうものは助け合いゆえ持てる白夜が、と首を振る。暗夜王は、なに軽く見てもらっては困る暗夜も極貧国ではないゆえ二国で、と返す。
 白夜王は、その言い方では俺のきょうだいの建てた透魔が物乞いに聞こえるではないかと睨み、暗夜王は、そちらこそ白夜だけが強国のような物言いをしてあと透魔王は私のきょうだいでもあるぞ、と眉をひそめる。
 透魔王が、兄さんたち落ち着いてと止める頃には既に口論は激化、後日冷静になってもう一度ということで、何も決まらず解散となった。
「私のきょうだいたちが……申し訳ない。リョウマ兄様も大人気ないにも程がある」
「いや、リョウマ王は我々を気遣ってくれたのだ。解ってはいたのだが、私の方もムキになってしまってな。子供じみた言い分だったと反省している。兄王たちがこれでは、あれも随分苦労しよう」
 マークスはもう一度嘆息した。彼は賢明な王ではあるが、同時に意固地な王子がまだ抜けない。自覚はあってもまだ感情がついてこないのだろう。
 ヒノカはせめて自分だけはため息をつかぬよう、マークスの手を握る。
「口喧嘩ぐらいしたらいい。リョウマ兄様も、今まで対等に言い返してくる相手がいなかったから、きっと少し甘えているんだ。あの子には気の毒だが、厄介な外交官の相手をする練習だと思ってもらおう。本音で話し合っていれば、必ず最良の案も出てくるはずだから、あまり御身ばかり責めないでほしい」
「……ありがとう」
 マークスは眉間のしわを解き、もう寝ようかとヒノカの身体を寝台に横たえた。ずっと畳と布団で眠ってきたヒノカも、この頃は背の高い寝具に随分慣れた。
 おやすみ、と金色の癖毛を撫でると、おやすみ、と紅い癖毛にもぬくもりが通る。
 程なく寝息を立て始めた夫の顔を見ながら、ヒノカはその日、寝付けずにいた。
 

 

「それは思い詰めすぎじゃないのかな、母上」
 翌日、息子のジークベルトにそう言われてしまった。自分がマークスにしてやれることはないだろうかと、相談した直後のことであった。
 ヒノカは自室にて相変わらず息子に肩など揉まれている。
「私から見ても、父上にとっては母上の存在は、随分救いになっているように見える。……腕のこの三角の筋肉をほぐしてからの方が、肩の血流がよくなるんだそうだ。母上がお元気で、笑顔でおられることが、父上には何よりの支えになると思うよ。……あとこの、鎖骨のくぼみから外に向けてすっと撫でるように押してやると、老廃物が流れていくらしい」
「だが、私は人形とは違うのだぞ。ただニコニコ座っていれば万事解決するような、そんなお飾りでいることには耐えられない」
「上手く言えないけど、父上はその気持ちだけで充分嬉しいんじゃないかな。……頭と首の付け根にあるこのくぼみは、あまり一気に強く押さずにぐーっと沈み込ませる感じでやると気持ちいいみたいだよ。母上がそうやって抱え込んでしまっては、父上もかえって気に病む。……肩の筋肉の張っているところは、指先じゃなく手の平全体を押し付けてあたためてほぐすように」
「ジークベルト、いろいろとありがたいが……お前は何を目指しているんだ?」
 合間合間の肩揉み情報がどこから来たのか気になるヒノカである。
 すまない調べているうちに楽しくなってきて、とジークベルトは苦笑した。
「母上も、何か武芸以外の趣味を持ったらどうかな? 手芸とか、料理とか……」
「ど、どっちも苦手だ」
 ヒノカは揉まれている肩をすぼめた。母としてこれでは面目ない。裁縫ぐらいはカミラに少し習ったことがあるが、出来ると言うには心許ないのだ。
 まぁ今のは一例だから、とジークベルトはヒノカの肩を広げ直す。
「やることは何でもいいと思う。そうやって新しいことに熱中している妻を見たら、父上も始まったばかりの透魔再興というプロジェクトに、よりいっそう励もうと思われるかもしれないよ」
「……そうか」
「そうだよ。はい、力を抜いて。今日はこれでおしまい」
 ぽんぽんと両肩を叩かれて、ヒノカは息子の顔を見上げた。祖父がガロン、父がマークスとは思えないほど、ジークベルトは柔和な顔立ちをしている。
 ことによるとこの暗夜王国を今までになく発展させるのは、謙虚で優しい息子の方かもしれない。
「ありがとう。心も身体も楽になった」
「よかった。じゃあ私は剣術の稽古に行ってくるけど、何かあったらまた呼んでほしい」
 息子を見送り、ヒノカは一人息をつく。
 貼られたばかりの白い壁紙が目に眩しい。暗い色調のこの城に、気が滅入る、とヒノカが思わずこぼしたのを、マークスはちゃんと聞いていた。王夫妻の過ごす部屋をすぐに模様替えして、少しでもヒノカの安らぐようにしてくれた。
 こんなに尽くしてもらうばかりで、自分は本当に、このままでいいのだろうか。
「ヒ・ノ・カ・お・義・姉・さ・ま?」
 ぞくっと背筋が粟立つ。振り返ると、いつ入ってきたのか、嫁に行ったはずのカミラがいた。
 ヒノカは両拳を膝に載せて、ほぐしてもらったばかりの肩を強張らせる。
「……カミラ王女、その呼び方はやめてほしいと前にも言ったはずだが」
「あら、私だってもう王女じゃないのにそう呼ばないでって言ったわよ。あなたがやめないなら私もやめない」
 もういい大人のくせに、カミラはつんと拗ねた真似をする。解っているのだ、本当にへそを曲げられているのではなく遊ばれていることは。ヒノカは嘆息して頭を振った。
「わかった、じゃあカミラ。どうしてここに?」
「あなたと過ごしたかったの。うちの旦那様はちょうど今日留守なのよ。お兄様のところならどこより安心だから行ってもいいって、お許しをいただいたわ」
 カミラはにこにこ顔で言う。戦時中からヒノカを(どういうわけか)気に入って、なにくれとなく(不自然なほどに)世話を焼いてくれるのだった。
 カミラ自身は他家に嫁いだとはいえ、義妹となったことに変わりはないし、共に過ごした時間も楽しかった。きょうだいとして、仲間として、無下には出来ない。
「今回はこれを持ってきたの。一緒にやらない?」
 カミラはそう言って小さなテーブルの上に、深めのトレーをいくつか載せた。
 その一つに色とりどりの欠片をばらまく。ヒノカの顔も、ぱっと華やいだ。
「な、なんだこれは? 宝石?」
「ええ、宝石もあるわ。これは貝殻の一部、金や銀、木で出来たビーズも。これは麻紐、こっちは色染めした革紐ね。レースの花も素敵でしょう?」
 白夜で言うところの、万華鏡の中身のようだ。幼い頃サクラやアクアと、興奮しながら覗き込んだのを思い出す。ヒノカはすっかり目を奪われ、上ずった声で訊く。
「これを、どうすると?」
「繋ぐのよ。こんな風に」
 カミラは豊かな胸を揺らし(正直先にそちらに目が行く)、自分の手首を示した。革紐に、カミラの髪色に似た、藤色の天然石が連なっている。
「この石や金属にもそれぞれ由来があって、願いや趣味に合わせて、自分だけのお守りが作れるの。素材には職人が穴を開けてくれているから、私たちは好きな紐に通すだけでいいのよ。どう、やってみない?」
 ヒノカは息を呑んだ。細かい作業は苦手だが、飾り物が嫌いなわけではなかったし、何より『紐に通すだけ』なら自分にも出来そうな気がする。
「そ、それは、調和を願う石などもあるのか?」
「ええ勿論。あとマークスお兄様の腕の太さなら、私大体分かるつもりよ」
「――わかった」
 完全に乗せられているのは自覚している。それでもヒノカは、カミラの誘いを受けることにした。
 ジークベルトに言われたこともあるし、他ならぬマークスに、ただ祈る以外、妻として出来ることがあるなら。不器用なりに、立ち向かってみたい。
 カミラの手が伸びてきて、ヒノカの頬に触れる。
「……素敵な瞳。あなたのその目が、一番綺麗」
 その笑みに、とてつもなく不吉な予感がしたのを、ヒノカは敢えて無視した。
「ご指導お願いします、『先生』」
「わかってるわ、かわいい『お義姉さま』」
 おねえさまはよしてくれ、と言うので精一杯であった。
 それからカミラと相談して、お守りのデザインを考える。黒い革紐に青い宝石。男がしていてもおかしくない腕輪を選んだ。
 まず石が抜けないように革紐の端を仮結びして、宝石の中心を貫く孔に通す。それだけのことにヒノカは大層神経を削った。カミラは辛抱強く付き合ってくれた。まるで本当の姉妹のように。
「――カミラ姉さん。ご主人が迎えに来てる」
 その後レオンが呼びに来て、ヒノカは初めて時計を意識した。あれからもう何時間も経っている。
 腕輪作りは、まだ半分も終わっていないというのに。
「あら、もうそんな時間? つまらない」
 カミラは口唇を尖らせて立ち上がった。正直ヒノカも、まだまだ教わっていたい。けれど他家の奥にあたるひとを、いつまでも拘束しておくわけにはいかなかった。
 ヒノカの不安が伝わったのか、カミラが顔を覗き込んでくる。
「ねぇ、一人で大丈夫? なんなら私、今夜は泊まっていってもいいのよ」
「いや、それには及ばない。分からなくなったらまた頼るかもしれないが、何とか頑張ってみる」
 空元気で笑うと、そう、とカミラは肩を落とした。
「じゃあ今日は帰るわ。でも、いつでも呼んで頂戴」
「ああ、ご主人によろしく」
「ええ、またね。――ねぇレオン、だから私の旦那様のことちゃんと義兄さんって呼んでって言ってるのに」
 カミラの文句を聞きながら、ふう、と息を吐いて、ヒノカは完成に程遠い腕輪を見つめる。ジークベルトに揉んでもらった肩がもう凝った。紐に通す『だけ』でこんなに手間取るとは、自分の不器用さがほとほと嫌になる。
「……アイオライトですか。人生の羅針盤と呼ばれる、精神安定と自己実現の石だ。悪くない」
「うわ」
 どうしてこのきょうだいは、いつの間にか背後に立つのだろうか。
 驚いているヒノカをよそに、レオンはカミラの置いていった素材をまじまじと検分している。
「ふぅん、こんな高純度のラリマーなんてよく手に入ったな、流石カミラ姉さん。これは『愛と平和』の石ですから、数粒しかありませんが交ぜたらよろしいと思いますよ。どちらも太陽より月光を好みますので、暗夜の王が身につけるのに適しているのでは?」
 ひょいひょいと、ヒノカの作業していたトレーに水色の石を放り込む。
「れ、レオン卿」
「レオンで構いません。嫁いだとはいえ姉が呼び捨てで、弟の僕に敬称がついているというのも道理に合いませんので」
「で、ではレオン。……何故、私の作っているのがマークス王のものだと?」
 レオンは顔を上げてヒノカを見た。
 怒っているとか、バカにしているというよりそれは。今更何を言っているんだこの人、というような怪訝な顔だった。
「あなたは青より赤を好むはずですし。第一あなたの腕に巻くのに、そんな数の石が要るはずないじゃありませんか」
 もっともだった。ヒノカが顔を真っ赤にして黙り込んでいると、レオンはふむと口元に手をやる。
「石のチョイス自体は悪くないけど、ちょっと雑気が気になるな」
「ざっき?」
「ええ。当たり前のことですがこれらは皆、採掘されてからここに来るまでの間に、たくさんの人間の手から手へと渡ってきました。その間に纏ってしまった雑念ですよ。魔術的な意味合いを持つ鉱石というのは、人に影響を与える分、人からも影響を受けるんです。まぁカミラ姉さんの下心とか、そういうことですね」
「し、下心……」
 あまり深く考えたくないことを言われた。
 レオンは少し悩んだ風だったが、一度頷くとこんな申し出をしてくる。
「守り石として使うのであれば、一度浄化しましょうか?」
「そんなことが出来るのか!?」
 ヒノカは思わず立ち上がろうとして、こぼれるこぼれる! と止められた。落ち着いて、と言い置いて、レオンは改めて説明する。
「出来ますよ、僕はこれでも魔術師ですから。浄化したところに、純粋な無色の魔力を注入して、石自体の持つ力を高めることも出来ます」
「なんと……」
 白夜の呪い師も神秘的だったが、暗夜の魔術師もまた素晴らしい。ヒノカが尊敬の眼差しを注ぐと、レオンは急につっけんどんになった。
「や、やるんだったら一回紐から抜いてもらわないといけませんけど! 革を聖水に浸けたら傷むし水も汚れるでしょう!?」
「あ、そうか。そうだな」
 レオンの態度の変化そのものには動揺しない。タクミもいつもあんなものだ。むしろタクミより分かりやすいとすら思う。
 ヒノカが残念だったのは、この数時間の苦労が水泡に帰すことだった。
「だが、贈るのならばやはり効果の高い方がいい。そうでなければ私の自己満足になってしまう。手間をかけてすまないが、お願いしよう、レオン」
 やり方は覚えたから、次からはここに行き着くまでもう少し時間も縮まるだろう。ヒノカは潔く革紐を引く。連なっていた宝石が、涙の粒のようにトレーにこぼれていく。
「……あなたは、優しいひとですね」
 レオンはぽつりと言い、恭しくトレーを受け取ると、一礼して去っていった。
 ヒノカは、何を優しいと言われたのか、解らない。
「優しいのは、暗夜王家の者たちの方だと思うのだがな」
 あれだけいがみ合った白夜の娘である自分に、こんなによくしてくれるのだから。
 ともかく、とヒノカは腕組みをする。さしあたってやることがなくなってしまった。とりあえず夫に見つからないように、カミラの置いていった道具一式を、自分の鏡台の引き出しに突っ込んだ。
 レオンは翌日には宝石をヒノカの手に戻してくれた。聖水と月光で清め、魔力を入れてくれたのだそうだ。
 カミラもまめに覗きに来てくれて、数日で腕輪は完成した。

 

「では、行ってくる」
「あ、あの」
 ある朝、城の玄関ホール。
 再度透魔に向かおうとする夫に、ヒノカは昨日徹夜で仕上げた腕輪を差し出す。マークスは目を丸くして、触ることを躊躇った。
「これは?」
「調和を導く、守り石だ。その、つけてくれたら、リョウマ兄様とも上手くいくかもと、思って……」
「あなたが作ってくれたのか?」
 ヒノカはもう何も言えず、赤面してこくこくと頷いた。マークスは相好を崩し、人前なのにヒノカの頬に触れる。
「ありがとう、とても嬉しいぞ。私はやり方が分からないから、どうかあなたの手でつけてはくれないか」
「あ、ああ!」
 ヒノカは舞い上がってマークスの左手首に革紐を巻いてやろうとしたが、長さが足りなかった。これには双方焦ってしまった。
「す、すまない。鎧の分を計算に入れていなくて……」
「いや、構わん。どこか縛れそうななところに……」
「あ、腰帯のところに結んでも?」
「そうだな、そこでいい」
 逸る気持ちを抑えて、ヒノカは腰を曲げ革紐をマークスのベルトに通した。
 これから、守り石は正式にマークスのものとなる。どうか彼を守護し、兄たちとの仲を取り持ち、この世界を平和へと導いてくれますよう。
 ぐっと紐を引っ張る。ほどけないよう、しっかりと、引っ張った、つもりが。
 ぷつりと、紐は千切れてしまった。
「あ……」
 ヒノカは思わず手を離す。
 ――宝石が一粒、二粒、落ちて、跳ねて、転がっていって。
 革紐は、ヒノカの度重なる失敗で傷んでいた。最後に引き絞ったのがとどめだった。
 ――羅針盤の石も、愛と平和の石も、どこかへ消えてしまった。
「ヒノ……っ」
「……ごめん、なさい」
 後ずさる。マークスの顔を見られずに、ヒノカは走り出した。
 誰の声も聞こえない。誰の言葉も聞きたくない。まっすぐ寝室に駆け戻って布団を被った。
 余計なことだった。余計なことだった。私なんかがお守りを作ろうなんて大それたことを願うから。
 あのひとを余計傷つけてしまった。させなくていい顔をさせてしまった。
 もっと悪いことが起きたらどうしよう。もっと悲しいことになったらどうしよう。
 リョウマ兄様にもあの子にも申し訳が立たない。
「ごめんなさい……」
 ヒノカは疲れて意識を失うまで、ずっと嗚咽交じりの『ごめんなさい』を繰り返していた。
 ――隣室に人の気配を感じて、ヒノカはぼんやりと意識を取り戻す。
 時計を見る。この習慣がついたのは、常に薄暗く空で時間の分からない暗夜に来てからだ。
 夕刻。あれから半日か。随分だらしのない王妃もいたものだと自嘲する。掛け布団をずるずると引きずったまま、懐刀を手に不届き者の顔を確かめに行った。
 そこにはよく知る男がいた。窓辺のテーブル。ヒノカの好きな場所。
 長身を丸めて、ランタンの灯りを頼りに手元で何かを懸命にいじっていた。
「……マークス殿」
 ヒノカが布団を落として呟くと、男は顔を上げた。ばつが悪そうに笑っていた。
「紐に通すだけと聞いたが、難しいものだな。口で言うより」
 来なさい、とマークスは手招きをする。ヒノカはぼうっとしたまま歩み寄り、示されるままに向かいに座った。
 そして、テーブルの上のトレーに目を見開く。そこには、今朝ばらまいたはずの宝石が揃っていた。
「なんで……」
「レオンが捜してくれた。自分の魔力の残滓ならたどれるからと……それからカミラから、あなたにと言ってこれをもらった」
 マークスの手元にもトレー。そこにあるのは、鮮やかな紅い石。
「ガーネット。レオンが言うには『努力の実りの石』だそうだ。いつも頑張るあなたには、ぴったりの守りだろう」
 半分まで紐に通し終わった、ヒノカの髪より紅い石。
「……なんで」
 ヒノカは片腕で自分の目を隠した。鼻声だけは隠せずに、震えながら言う。
「私なんかをそんなに甘やかしたって、何も出来ないんだぞ。私は貴殿に、何もしてあげられないんだぞ」
「甘やかしてなどいない。それに私は、既にあなたからたくさんの温もりをもらっている。だからあなたがくれた気持ちを、少しずつでも誠実に返していきたいだけだ」
 マークスは大真面目にそう答えた。
 今や一国の王たるものが、女子供の手慰みに、そんなに真剣に取り組んで。そう言いたいのに、ヒノカの喉は、彼への罵倒を受け付けない。
 マークスが、わざと厳しい声を出すのが分かる。
「ほら。練習しなければ、いつまでも上手く作れないぞ。そんなことでは私がジークベルトの分まで作ってしまうからな」
「だめだ、貴殿とジークベルトの分は、私が作るんだから!」
 やっとちゃんとした言葉が出た。ヒノカは濡れた目を乱暴に拭き、新しい革紐でもう一度青い宝石と向き合った。
 今度こそ失敗しない。上手くいくかな、なんて弱気は、もう見せない。
 だから今度はお願いします。ちゃんと、このひとを、私が誰より愛するひとを、守護する力になってください。
「ヒノカ」
 マークスが、小さく呟いた。甘く、やわらかく、それでいて涼やかな声で。
「我々は一人では生きていけない。こうやって、連なって、隣り合って生きている。誰かに無理をさせてしまうと、あんな風に散らばってしまうのだ。だからこうして健やかに、寄り添うことも勇気であり、力だと、忘れないでほしい」
「ありがとう、マークス殿」
 優しいひと。優しい人たち。
 連なり合って、優しさを分け合ったら、終わりのないように端と端を結んで円にしよう。
 そしてそれを、縁と呼ぼう。
「私はとても、幸せだ」
 やがて白夜・暗夜・透魔の三国は、恒久的な平和の時代を迎える。
 それまでの間の、わずかのこと。
 とある王と王妃を結ぶ、ささやかな出来事だった。