第三章 貴族とラグズ - 2/3

SIDE:Ike

 

熱砂

 

 積み荷押収の任を終え、アイクたちには休息が与えられたが、ベグニオン側はあの積荷についての一切を教えようとはしなかった。
 貴族や王族というのはみんなああなのだろうか? 何をするにも作法と手続きが必要で、何を言うにもまわりくどい言葉を使う。ラグズの真っ直ぐな物言いの方が、アイクには余程好ましい。
「……あの」
 特に行き先もなく回廊を歩き回っていたところ、紅い髪の少女に声をかけられた。
 デインの竜騎士・ジルだ。このところミストがしきりに心配している。確かにジルは、出会ったときに比べていくらか憔悴しているように見えた。
「猫の……ことについて、話を聞きたくて」
 アイクは眉間のしわを深くした。なるほど、レテの種別は猫だ。だがそれは分類であって、彼女個人を指す名称ではない。
「レテのことなら、モゥディに訊いた方が詳しいぞ」
 多少の嫌味と、客観的で率直な意見を述べると、ジルはとんでもないという風に首を振った。
「ね……レテ、の行動を見ていたにんげ……ベオクの感想を訊きたくて。例えば」
「例えば?」
 アイクが先を促すと、ジルは表情を曇らせて、目を伏せた。夜風が吹き荒ぶ。
 鮮やかな紅髪が、炎のように揺れる。ジルはアイクの顔を見なかった。
「今日の、敵のラグズ。『もう助からない』とは、どういうことだろう」
 そんなことはアイクの方こそ知りたかった。
 何故彼女が同胞を手にかけねばならなかったのか。モゥディの告げた伝言は、どういう意味だったのか。
 深いため息をついてから、アイクは重い口を開く。
「目の前に錯乱した兵士がいる。奴はもう正気を失っていて、今にも味方に襲いかかろうとしている。あんたならどうする?」
 ジルはアイクの質問の意味を解しただろう。しかし律義に問答を続ける。
「説得を、試みる。既に手遅れだったのなら、私は」
 ジルは左腕で右腕を強く抱いた。
「――せめて、楽に」
 モゥディの伝言の模倣。ジルは顔を上げて、泣きそうな顔でアイクに迫った。
「では、あの敵の首領は? ああも残虐に殺す必要があったのか?」
「必要なんてない」
 短く吐き捨てて、アイクは奥歯を噛み締めた。
 もしも彼女がそうしなければ、ああなっていたのは自身かもしれないと、今になって思うのだ。
「いつもはあんな殺し方はしない。レテは逆上してた。憎悪してた。俺だって、仲間をあんな風にされたら、まともな理性を保っていられる自信はない」
 ジルは黙っていた。黙っていたが、やがて意を決したように、アイクの目を初めて真っ直ぐ見た。
「レテに会ってくる。やはり、自分で訊かなくてはいけない」
「あいつは俺よりずっと厳しいぞ」
 事実を述べると、ジルは少したじろいだ後、小さく頷いた。
「時間を取らせて悪かった。礼を言う」
「別に構わんが、食事の場にはちゃんと顔を出せよ。妹が気にする」
 これに返答はなかった。ジルは静かにきびすを返し、角を曲がってアイクの視界から姿を消した。
 

 

 視界が悪い。舌打ちぐらいしたかったが、口を開けば砂が入ってきそうなので、しない。
 神使から預かった新しい任務、『砂漠を拠点とする盗賊団の討伐』。砂漠なんて砂地の広い版だろう、などと思って安受けあいした自分が憎らしい。遮蔽物のない砂の海。一歩進むごとに足が沈む。風が吹く度に砂が顔を叩く。無精者のアイクだが、今回だけは、終わったらすぐ風呂に入りたいと思った。
 歩く。歩く。歩く。そのうちに感覚が慣れて、どう足をつけばいいのかも少し分かってきた。
 アイクが試行錯誤し始めてしばらく、どこから湧いたのか、人影が砂漠の真ん中に陣取っているのが見えた。
「お前たちは何者だ?」
 外套の頭巾を目深に被った人物が、一歩前に出て誰何した。
 お前らがそれを言うか、と言いたくなる風貌だったが、ここで口論を始めても仕方がない。アイクは正直に答える。
「俺たちは傭兵だ。ここらあたりを根城にしている、盗賊団の討伐を依頼されてきた」
「……元老院のイヌめ! 我らを盗賊団として闇に葬り、自分達の罪を包み隠そうというはらか! だが、我らは負けん! いつの日か必ず……全ての奴隷を解放してみせる!!」
「何の話だ?」
 アイクは眉をひそめた。意味はよく分からなかったが、どうやらこの集団は、自分たちは盗賊団ではないと宣言している風だったからだ。
「これ以上は問答無用だ! みんな、かかれっ!!」
 しかし対話は一方的に打ち切られた。別の影がぞろぞろと現れる。その風体、耳の位置。 
「ラグズだと……!」
「盗賊団に変わりありません。油断しないでください」
 狼狽するアイクの横で、セネリオが緊迫した声を出した。
「わかってる」
 彼らが本当に盗賊団かどうかはさておき、手ぶらでは帰れない。何らかの成果を持ち帰らなければ、エリンシアに申し訳が立たない。
「砂に足を取られるな。それから、出来るだけ殺すな!」
 相手のラグズ達が臨戦態勢に入る。マーシャが飛ぶ。ジルも後に続く。
「アイクさん! さっきの人、北西の廃墟に戻っていきます! 追走しますか?」
「放っておけ! どうせ最終目的地はあそこだ。それより戦力の分析を頼む!」
「了解しました。視認できる範囲で鳥翼5、獣牙15! 総計20と判断します!」
「拠点近くの配備が厚い。建物内にも敵兵ありと推測!」
「北東の岩場に伏兵2! このまま進軍すれば挟撃の可能性あり!」
「撃破しますか?」
「頼んだ!」
 流石、元軍属同士。話が早い。
 こちらのラグズもどうやら準備が整ったらしい。砂漠の太陽よりも眩しい光を放ち、彼らは姿を変える。
 ラグズとラグズ。昨日の焼き直しのような光景。しかし今対峙しているラグズの瞳には、決意のような色が見えた。
 話し合えるかもしれない。もう、彼女は同胞を喪わなくていいかもしれない。
 アイクは静かに、剣の柄に手を置いた。
 実力が上回り、かつ地の利もある相手を生け捕りにするのは、思った以上に重労働だった。満身創痍で辿り着いた廃墟の入り口には、緑の毛色をした虎が化身せずに立っている。これより先には進ませない、という意思表示なのだろう。
 悲痛な目をしていた。誰かに似ていると思った。
「なぁ。もし、お前たちが盗賊じゃないと言うんなら」
 そうだ。エリンシアに似ている。拾われたばかりで、何も頼るものがなかったエリンシア。
 レテに似ている。王の命で、アイク達についていくと決まったときのレテ。
 ミストに似ている。父が死に、ふたりだけになったと呟いたときのミスト。
「抵抗をやめたらどうだ? 誤解があるんなら、話し合おう」
 モゥディは、話し合うことで無用の戦いを避けられることもあると言った。
 だから、あるいは。
「……その手には乗らない」
 彼は無感情な口調で答えた。
「お前たちは……そうやっていつも我らを騙し、陥れるのだから」
 アイクの期待していた答えではなかった。と、言うと語弊がある。アイクは答えを期待していなかった。アイクが期待していたのは、反応だ。その手には乗らないと言いながら、きちんと言葉を返した。
 交渉の余地はある。そう思ったが、もう相手は臨戦態勢のようだ。
「いくぞ」
 虎の男が取り出した腕輪には、見覚えがあった。確かカラスの親玉がつけていた。化身が解けない、とか、何とか。レテに問おうと思って振り向きかけて、唐突な光によって遮られた。とっさに目を閉じる。目を開けたとき、既に男は化身を終えていた。
 緑の虎。アイクには、あの状態のラグズと話す術はない。レテが見かねたように怒鳴る。
「獣牙の同胞よ、いいかげん目を覚ませ!」
 レテの声に虎は一瞬目を向けたが、結局黙殺した。アイクは半ば捨て鉢な気分で、呟いた。
「もう、あれしかないか」
「だろうな」
 レテにも通じたらしい。アイクはようやく、剣を抜いた。
「――ふん縛ってでも話してもらう!」
 アイクはそのまま虎に突撃する。振りかざした刃に、虎が噛み付く。最初に感じたのは重心のズレだった。あるべき重みが右手にない。見ると、噛まれた箇所から剣は三つに折れていた。
 レテとの鍛錬では何度やっても体感できない、猫にはない、圧倒的な破壊力に目を見張る。
 どうする? 逃げようにもこの荒涼とした砂漠では隠れる場所もない。虎は丸腰のアイクに跳びかかろうとしている。
「アイク!」
 叫んだのはセネリオだった。何かが虎の脇腹に直撃する。火の玉だと認識するのに、時間はかからなかった。虎が断末魔のような声を上げた。この広漠としたグラーヌ砂漠の果てまでも響き渡るような叫び。
 火は見る間に全身に回っていく。脂を含んだ体毛を、嘗め尽くすように火は進む。虎はアイクから離れ、炎を消そうとでもするように砂に身体を擦り付けている。少しの効果もない。
 アイクは折れた剣を手にしたまま立ち尽くしていた。
 あの虎は苦しんでいる。助けたい。しかし水源すらないこんな場所で、一体どうすればいい?
 呆然とするアイクの背後から、レテが突然に走り出した。彼を助けるためなのだと直感する。アイクとて、彼を死なせるのは本望ではない。彼女の背を追って駆け出した。
 レテは男の横に膝をついたが、どうやら何かを躊躇しているらしかった。しかし意を決したように、男へ手を伸ばす。突っ込むのだろうか? その手を。燃え盛る火の中に。その白く細い指が、爛れるところなど見たくはない。レテの柔らかい肉が、焼けるにおいなど嗅ぎたくない。
 アイクは夢中で手を突き出した。
 腕輪。きっとこれを、外すのだ。真っ赤になった金属を力の限り握る。肉の焦げる音がした。
「あ――ああああああああああああああああああああああッッッ!!」
 痛い。熱い。熱い。痛い。痛い。冗談みたいなスピードで皮膚がただれていく。指が焼きついていく。熱い。熱い。熱い。痛い。他に何も考えられない。
 アイクは叫んだ。悲鳴だったのかもしれない。気合いだったのかもしれない。どうでもいい。ただ叫びながら、力の限り腕輪を引き抜き、砂の上に放り投げた。
 人型に戻った男の服にはいまだ火が燻ぶっている。まだ終わっていない。まだアイクはこの男を助けていない。外套を外して加減もせずに叩いていく。火が消えて、煙だけがその場に残る。それを見ていたら、急に力が抜けた。
「アイク!」
 崩れる前にレテが支えてくれた。こんなことが嬉しいなんて、俺もいよいよ弱っているのかと笑いたくなる。
 役に立てただろうかと問おうとして、声が出ないことに気付いた。
「衛生兵!」
 レテはアイクの肩をぐっと抱くと、代わりにミストたちを呼んでくれた。あの紫の瞳で、顔を覗き込んでくる。
「どうしてこんな無茶をした?」
「あんたが、やりたがっていたから」
 よかった、話せた。だがひどくかすれていて、まるで自分の声ではないようだ。
 近いな、と思った。すぐそこにレテの顔がある。夜明け色の瞳を見ている。
「それだけで?」
「ああ。あんただったら、こいつを助けてくれると、思っ」
 アイクは痛みに顔を歪ませ、言葉を切った。
 改めて確かめた手はひどい有様だ。こうまでなると逆に感心する。笑いすらこみ上げてきそうだ。
「あんたに、怪我がなくて、よかった」
 ミストとキルロイが慌ただしく駆け寄ってきて、火傷の具合を確かめようとして来る。
「お兄ちゃん!」
「アイク、大丈夫かい!?」
「俺より、あっちを……」
 指を差そうとしたが、人差し指は中指にくっついてしまっていた。それでも通じたらしく、キルロイは頷いて虎の男の方へ行き、治療を始めた。
「お兄ちゃん、指、開くよ。そうしないと、くっついたまま治っちゃうから」
 顔面蒼白でミストは言った。妹の勇気に負けじと、アイクは首肯する。
「頼む」
 なるほど、身を裂かれるとは、こんなにつらいものか。皮膚を引き剥がされる痛みに耐え、アイクは悲鳴を噛み殺す。
「アイク、ごめんなさい」
 セネリオがやってきて、泣きそうな顔で頭を下げた。ごめんなさい、ごめんなさいと、明滅する杖の光の合間を縫うように、しきりに。
 頭を撫でてやりたかったが、肝心の手が塞がっていた。
「お前のせい、じゃない」
 アイクは精一杯はっきりした声で、言った。
「お前のせいじゃない。お前が助けてくれなければ、俺は死んでいたかもしれない。ありがとう、セネリオ」
 セネリオは一度だけ鼻をすすってから、ありがとうございます、と呟いた。