ギフト
学校を一日休んで、為一が次に登校したのは九月二十七日の金曜日だった。朝からあいにくの雨模様で、長袖のワイシャツも悪目立ちしない。
二年D組の教室には坂野一人しかいなかった。為一が入ってきたのに気付いて本から顔を上げる。
「八名川。なにその頭」
「や、いまさらだけど野球部っぽくしよっかなーって……やっぱ似合わない?」
為一は眉を下げて五分刈りの頭を撫でる。丸刈りの方がよかったか。日和って半端な長さにしてしまった。
「逆。顔がいいとどんな髪でも様になるから腹立つなって思う」
坂野は本を閉じて立ち上がった。参考書だ。登校して最初にやることが自習なんて。
「で、何の用? わざわざ教室まで来たんだから、真面目な用事なんだろ」
「こないだの電話の件、謝ろうと思って。ごめん。感じ悪かったよね」
為一が頭を下げても、坂野はピンと来ていない様子だった。お父さんの、と付け足すと、ようやく、ああと頷く。
「別に。父の仕事が泥臭いのは本当だし。隠してて八名川が嫌な気分になったんなら、お叱りも甘んじて受けるよ。引きずるようなことじゃない」
「ねえ坂野ちゃん、ハグしてもいい?」
「は? なにいきなり? 話は終わり?」
坂野は大いに訝ったくせに、為一の視線に根負けして結局腕を広げてくれた。ものすごく不服そうな表情。
為一は坂野の胴に両腕を回した。結構筋肉がある。胴回りなら新田より上かもしれない。
「さっき、朔夜にもさせてもらった」
「なんっ」
坂野は怒鳴りたそうに息を吸ったが、言葉を伴わないまま胸は萎れる。もう口を出せる立場にないと覚ったのだろう。こういうところが、いいやつだな、と思う。
朔夜と抱擁を交わして、お互い心音が落ち着いていることにひどく安心した。
為一を性的に消費しない女性は存在する。為一にも、まだ憎まずに済む女性がいる。未来を歩むうえでこんなに心強いことはない。
それに。
「キミのお父さん、すごくかっこいいと思うよ」
坂野の背中を軽く叩く。為一の背に触れる坂野の手は遠慮がちでぎこちない。
「どこがだよ。帰りは遅いし、家族との約束も平気ですっぽかすし、たまに帰ってきたと思えばずっと寝てるし……ろくでもないよ」
「ありがとう」
「なにが」
「オレは、キミからもらった時間でお父さんに助けてもらったから」
坂野の動きがはたと止まる。
家にいない間、外で働いている間、父は誰かを助け喜んでもらっているのだろうか。もしそうであるなら為一はきっとあの人を許せる。息子にとって『いい父親』ではなくとも、代わりに誰かが笑えているなら。
――オレはオレの方法で、自分の為の笑顔を一人でちゃんと探すよ。
「試合で気が昂ってるとかでもあるまいし。こんなとこ誰かに見られたら何言われるか分からないんだからな」
毒づきながら、坂野は振り払うどころか背を撫でてくれる。
うん、そうだねと呟いて、為一は腕に力を込めた。
週末には雨も止むそうだ。また新しい陽が世界に注ぐだろう。
今は力を抜いて、切れ切れの雫に身を委ねていたい。