12話 Thirty Pieces of Sunset - 9/10

エピローグに代えて 桜原太陽編

 何の脈絡もないが親父のことを書きたい。

 俺の親父は物書きだった。文筆家と名乗っていたような気もする。区別は未だにつかない。細々とでも切れない程度の仕事だ。
 九つのときにお袋が死んでから、男やもめで俺を育てた。とはいえ身の回りのことはからきしで、近所の婆さんを出入りさせていた。

 大人のよく来る家だった。大概がスーツの男で、親父はいつも着流しで応対していた。朗らかな顔で大抵難しいことを話していた。
 通りがかると必ず、御挨拶しなさいと言われた。
 御子息もこちらの才をお持ちですかと客が書く真似をすると、いえこれはぎっちょで全くいけません、と親父は決まって答えた。
 親父は俺に直接ぎっちょと言ったことはなかった。利き手を変えようとするわけでもなかった。鏡の側からものを見なさいと繰り返した。
 意味は今でも解るようで解らない。

 新田が初めて来た日のことを書く。
 親父は新田の日本語が不得手なことをすぐに見抜いた。
 詩集をいきなり渡して、どこでもいいから声に出して読んで御覧と言った。
 新田は本を開いて、よごれつちまつたかなしみ(旧仮名の読めない新田は文字の通りに発音した)というのは汚れたことが悲しいのですか、悲しみが汚れてしまったのですかと、とんちんかんなことを訊いた。これがかえって親父の気に入ったらしかった。
 それから新田はゆやゆよんとかそういうのをしばらく朗読していた。
 俺は寝転がって二人のやり取りを聞いていた。新田がうちに来た理由である宿題がうやむやになればいいと思って黙っていた。

 新田は足しげくうちに通うようになった。
 親父をはじめさんと呼び、日本語が見る間に上達した。
 親父の名前の字が綺麗だと言った。
 漢和辞典の朔の字がある頁の角を折っていた。
 子供が生まれたら一字もらいたいと言って、それは俺の役目だろと笑った。
 朔太郎という新田の案を却下して、朔夜にすることにした。親父の最初のペンネーム、咲夜(さくや)朔日(ついたち)からもらった名だった。

 柏木を連れ帰った日、自分が必死に睨みつけていたはずの親父の顔を思い出せない。
 示し合わせて、卒業式の終わったその足で小さな旅行鞄ごと柏木を持ち込んだ。
 付き合っている、ここに住まわせたいと頼み込んだ。
 そうでないなら俺も家を出ると脅した。
 柏木は黙って下を向いていた。
 親父は俺を下がらせて柏木と二人でしばらく話していた。
 呼び戻されて、結婚する気はあるか、と訊かれた。ある、と即答した。
 戸籍がどうなっても構わなかった。柏木を両親の手の届かない場所に置くことしか頭になかった。
 そのくせ、客間を使いなさいと親父がため息をついたときほっとした。親父がお袋の匂いの一番薄い場所に柏木を置いたのを、嬉しいと思った。

 その年、親父が倒れた。
 なんのことはない、煙草のやりすぎで肺をやった。
 お前もきっと私と同じ逝き方をするなと親父は寝言みたいに笑った。
 絶対そうだろと俺も火のついていない煙草をくわえて笑った。
 夢子さんをもらうのかと親父はまた訊いた。
 そうだよと答えたのは親父のためだった。
 親父は言葉を綴り続けた右手でぎっちょの俺の左手に触れて、
 おれに似てひどい男だと、
 親父が自分をおれと呼んだのを俺は初めて聞いた。
 その数日後に親父は逝った。まだ四十三だった。

 夢子は俺に二人の子供をくれた。
 娘は一発で出来た。早めがいいとは願ったが驚いた。
 二度中絶したから無事に産まれるか分からない、と言いながら夢子は元気な子を送り出してくれた。一夜孕みなんてまるでコノハナサクヤヒメね、と呆れていた。
 後で聞いたら孕んだのは姫の方らしい。
 無学な俺はこの子をサクヤと呼んだと思った。
 お前はやっぱり朔夜なのかと思った。
 もう一人だけ産んでもらえないかと土下座した。俺には支え合う家族がもういなかった。せめてこの子に同じ思いをさせたくなかった。
 産まれた男児の名前は夢子がつけた。
 皓汰。込めた意味は教えてくれなかった。

 最初の約束に従って、子供の面倒は俺が見ることになった。
 夢子は写真スタジオで働き始め、帰ってきて眠るだけだった。
 この頃には、例の婆さんも息子と同居すると言って高葉ヶ丘を去っていた。
 俺一人で赤ん坊の世話が満足にできるわけもなかった。
 親父があの子たちを生かしてくれた。
 親父と仲のよかった社長が、地元の職を世話してくれた。仕事中は奥さんが子供を預かってくれて、夕食もよく食わせてもらった。
 夜中、泣き止まない理由が分からないときは、顔なじみの医院に駆け込んだ。院長の長北(ながきた)先生は、どんな時間でも子供たちの診察をしてくれた。奥さんは離乳食の作り方のノートをくれて、俺の飯もときどき持たせてくれた。息子は俺の同級で、よくやるねと言いながら子供たちと遊んでくれた。
 商店街でも、居酒屋でも、ああ櫻井(さくらい)先生の、とよく声をかけられた。
 子供がらみの痛い出費の頃にひょいと印税が入った。
 どれもこれも親父らしい世話の焼き方だと思った。
 そうして朔夜は俺そっくりの野球馬鹿に育ち、
 皓汰は親父そっくりの本の虫に育った。

 それから夢子はしわ一つない離婚届に署名した。
 他に何をすればいいんだ、離婚って、と俺は尋ねた。
 お金じゃないの、と夢子は答えた。
 親権はあなたで、私はお金を払う、今までと同じでしょう、といつもの調子で言った。
 最後に一度ぐらい、夫婦らしいことする? と夢子が笑って、
 そんな風に笑えるのかと思って、
 そうだな、と頷いた。
 この夜、初めて夢子を抱いたのかもしれない。
 桜原夢子にはなれなかった女を。

 俺はお前の家族になれなかった。
 だとしても、俺の子供の母親は、お前以外の誰でもないんだ。