8話 Left-field - 4/6

俺らなりの本気

 なんぼ何でも早すぎた。
 侑志はため息をつき、部室のドアに寄りかかった。
 気が急いて、朝練の時間より大分早く来てしまった。暇潰しに教科書を取り出しかけたところで人の気配がして、急いで姿勢を正す。
「おはようございます。早瀬さん」
 早瀬は無愛想に片手を上げ、侑志の隣に並んだ。侑志は昨日の決意を何らかのかたちで伝えたかったのだが、上手い言葉が出てこない。
 結局先に口を開いたのは早瀬だった。
「新田。お前さぁ、レフトってどう思うよ」
「どう、って」
 侑志は言葉を濁した。質問が抽象的すぎて理解できない。
 早瀬は返事を待たず、つまらなそうに続けた。
「ダセぇだろ」
「いえ」
 そこだけはっきり否定して、侑志はまた黙る。
 早瀬の頭は、侑志より十五センチも下にある。肩幅も狭い。軟式球児は硬式球児に比べて全体に小柄だということを差し引いても、外野手向きの体格ではない。
「打てるとか、肩があるとか、脚がいいとか、理由があってレフトやってんならいいんだよ。でも邪魔にならないように隅っこに追いやられてるヤツってのも、結構いるんだぜ」
 早瀬の声は静かだった。
 中学生のようにあどけない横顔。大きな瞳はかたちのないものを捉えている。
「チャンスでお前に打席譲るの渋るほど、思い上がっちゃいねぇよ。だからって、ピンチで『レフト』下ろされたらオレは絶対許せねぇ――オレ自身を」
 普段の荒々しさや気忙しさは影もない。粗暴で子供っぽい見目に隠れていた誇りが、今剥き出しでそこにある。
 彼は打者としての座を、侑志が借り受けることを許した。だが固守するのは自分の役だと言った。誰よりも隙なく気高く、あの場所を守るのだと。
 侑志は俯いて、鞄の紐を強く握り締めた。
「俺、絶対上手くなります。早瀬さんの居場所(レフト)を汚すような真似、もう二度としません。本当にすみませんでした」
 早瀬は答えなかった。黙って侑志を見上げていた。目を細めていたのは、侑志がちょうど太陽を背負っていたからかもしれない。
 早瀬は一度口唇を噛んでから、侑志のふくらはぎを足の甲で思い切り蹴った。
「いっ……!」
「面倒くせぇなあもう、『レイジ』でいいっつーんだよ。琉千花とややこしいだろうが。いつまでも遠慮してんじゃねーよ」
 侑志は足をさすりながら早瀬――怜二を見上げた。怜二は不機嫌そうな顔をしていたが、やがて苦笑気味に口許を崩す。侑志が笑い返そうとしたとき、誰かが怜二の背中にしなだれかかった。
「じゃーあオレのことも『にゃーさん』って呼んでよ~、ゆーしくん」
 八名川だ。てめーいつから聞いてやがった、と怜二と八名川のお決まりのやり取りが始まる。侑志は微笑んで空を仰ぐ。
 蒼。躍動するような、蒼。一面に振り撒かれた光の匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。
 夏が近い。